2019年香 川

宗林寺〜碑巡り〜
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さぬき市長尾町西に宗林寺という寺がある。


「一畑御坊」とある。

宗林寺には種田山頭火その他の句碑が数十基ある。

種田山頭火の句碑


しぐるるやしぐるる山へ歩み入る

うしろ姿のしぐれてゆくか

 「しぐるるや」は昭和4年(1929年)『層雲』(5月号)発表の句。『草木塔』(鉢の子)に収録。

 「うしろ姿の」は『行乞記(二)』に「自嘲」とある。昭和6年(1931年)12月、熊本県から福岡県に抜けてから詠まれた句。

平成7年(1995年)12月3日、建立。

以下、特に名前がなければ、山頭火の句碑である。



   行乞途上

秋ふかみゆく笈もぴったり身について

昭和14年(1939年)10月25日、26日の句。

平成6年(1994年)4月、建立。



蛙になりきつてとぶ

昭和15年(1940年)9月15日の句。

平成19年(2007年)3月24日、本木信夫建立。砂井斗志男揮毫。

高浜虚子の句碑


琴瑟に仏法僧も相和して

河東碧梧桐の句碑


名残の土筆摘む松三本のよりて立つ影

『三昧』に収録。大正14年(1925年)の句。



まことお彼岸入りの彼岸花

出典は『行乞記 広島・尾道』。

昭和8年(1933年)9月20日の句。

『草木塔』(山行水行)に収録。

平成13年(2001年)10月1日、本木信夫建立。砂井斗志男揮毫。



草が咲くかまどのてふてふ

出典は不明。

『草木塔』(孤寒)に草は咲くかまゝのてふてふがある。

平成9年(1997年)5月10日、本木信夫建立。



もう一杯の柄杓どの

昭和9年(1934年)2月28日に詠まれた句。

『其中日記(五)』に「もう一杯、柄杓どの(酔ざめに)」とある。

平成18年(2006年)6月14日、大木信夫建立。砂井斗志男揮毫。



歩々到着

『春菜』層雲250号記念集(昭和7年5月刊)による。

平成7年(1995年)1月30日、多田莖男建立。



日ざかりの空腹はなく

山頭火
風の明暗をゆく

「『草木塔』以後」に「日ざかりの空腹は鳴る」とある。

『草木塔』(柿の葉)に「風の明暗をたどる」とある。

 昭和15年(1940年)『層雲』(11月号)に「日ざかりの空腹は鳴る」とある。

 「風の明暗をゆく」は、昭和11年(1936年)雑誌「松」9月の句。



うれしいこともかなしいことも草しげる

出典は『其中日記(六)』。

 昭和9年(1934年)7月1日、小郡(現山口市)の「其中庵」で詠まれた句。

夏目漱石の句碑


柊を幸多かれと飾りけり

 明治33年(1900年)12月26日、英国留学中の夏目漱石が正岡子規に宛てた絵葉書に書いた句。

河東碧梧桐の句碑


さくら活けた花屑の中から一枝拾ふ

『碧』に収録。大正13年(1924年)の句。

この句の碑は松山市役所前にもある。

宗林寺山門


山門の左右に山頭火の句碑があった。



まつたく雲がない笠をぬき

出典は『行乞記(一)』

 昭和5年(1930年)10月26日、高鍋町から都濃町へ向かう途中で詠まれた句。

平成4年(1992年)1月25日、長尾町の俳句同好会が建立。

香川県で最初の山頭火句碑である。



音はしくれか

出典は『其中日記(一)』。

 昭和7年(1932年)10月21日、山口県小郡の其中庵で詠まれた句。

平成5年(1994年)4月21日、俳句同好会建立。

宗林寺本堂


真宗大谷派の寺である。

本堂の左右雨樋受け水槽に山頭火の句が刻まれていた。



うどん供へて母よわたしもいたゞきまする

『草木塔』(孤寒)に収録の句。

昭和13年(1938年)3月6日、母の四十七回忌に詠まれた句。

平成7年(1995年)7月9日、本木信夫建立。



このみちをゆくよりほかない草のしげくも

出典不詳。

『草木塔』(孤寒)に「このみちをたどるほかない草のふかくも」とある。

私も遂に無能無力、この一筋を精進するより外なくなりました。

このみちをたどるほかない草のふかうして

昭和13年7月14日、大山澄太宛書簡

平成9年(1997年)4月21日、本木信夫建立。

正岡子規の句碑


御仏も扉をあけてすゞみかな

出典は『寒山落木 巻四』(明治二十八年 夏)。「須磨寺 二句」とある。



三日月落ちた、寝るとしよう

出典は『行乞記(三)』。

昭和7年(1932年)9月5日の句。

平成12年(2000年)5月10日、大木信夫建立。

菊池寛の句碑


   横光君逝く

行く年や悲しき事の又一つ

昭和22年(1947年)12月30日、横光利一は49歳で没。



東漂西泊
花開草枯
自性本然
歩々佛土

尾崎放哉の句碑


翌ハ元日がくる佛とわたくし

「小豆島時代」の句である。

尾崎放哉の句碑


お寺の秋は大松のふたまた

「須磨寺時代」の句である。

大谷句佛の句碑


勿軆なや祖師はかみこの九十年

大谷句佛は東本願寺第二十三代法主。真宗大谷派管長。

昭和18年(1943年)2月6日、68歳にて示寂。

山頭火の句でも出典が分からないもあるものだ。

よく知らない俳人やよく読めない句碑もあった。

住職は落葉の処理が大変だと言っていた。

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