寿永2年9月、平氏は安徳天皇を奉じて、六万寺を行在所として(屋島檀の浦の行宮のできるまで)ここで門を構えて、海辺の防御に備えました。総門はこの遺跡です。 後、檀の浦に行宮をうつしてからも、この門を南部の重鎮として大いに源氏軍を防ごうとしましたが、ついに源氏の占領するところとなりました。当時この付近は海浜でした。 標木は高松藩主松平頼重の建てたもの、碑は野津大将題、黒木欣堂撰書”夏草や”の碑は久保不如帰氏作。
高松市教育委員会 |
夏草や |
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こゝにもひとつ |
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髑髏(されこうべ) |
お遍路の |
行きつゝ |
髪を |
束ねけり |