守れ権現 |
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夜明けよ霧よ |
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山はいのちの |
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みそぎ場所 |
正殿 崇徳天皇 相殿 待賢門院・大山祇神 第七十五代の皇位を御継承遊ばされた崇徳天皇は御年17才で近衛天皇に御譲位、上皇になられました。保元の乱に讃岐に遷されて9年間、此地で御苦労の末、崩御遊ばされたので、白峰の山稜に葬り奉りました。 まことに恐れ多い極みであります。上皇御在世中京の御所でお仕えしていた阿闍梨章実と云う者が、崩御の後上皇を御慕いして讃岐にまいり、此地での上皇の仮御座所であった木の丸殿の建物をひいて山陵の側に建て、上皇の神霊を祀り頓證寺と稱しました。其後慶応4年勅使の参向があって、上皇の神霊は京都に歸られて、今の白峰神宮に奉齋されましたので、ここに頓證寺は廃止となりましたが、殿堂はそのままとなっていたので、明治11年愛媛県令から内務部に願い出て、金刀比羅宮境外摂社として崇徳天皇を奉齋した創剏が許可になり、正殿には崇徳天皇を旧本地堂には待賢門院を旧相模坊堂には大山祗神を奉祀して敷地建物宝物等一切当宮の所有に帰しました。当宮からは詰員を常置し祭日には祭員・伶人・舞人を巡遣して祭儀を執行して来ましたが明治31年本宮境内に御遷座し一時三穂津姫社に奉齋社殿新築成って大正2年現在の社殿に正遷座を奉仕した次第であります。 |