平成6年から平成16年までに塩江美術館の遊歩道には13基の文学碑が建立された。 |
乾坤に |
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命吹雪ける |
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螢かな |
塩江の螢は、谷から湧き上り、高々と山の上の方まで舞い上る。その見事さに思わず乾坤の命が吹雪くとつぶやいたのであった。 |
昭和5年(1930年)、大阪生れ。 |
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平成元年(1989年)、東京大学総長。 |
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平成2年(1990年)、「天為」創刊、主宰。 |
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平成5年(1993年)、理化学研究所理事長。 |
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平成8年(1996年)、国際俳句交流協会会長。 |
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平成10年(1998年)、文部大臣。 |
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平成11年(1999年)、科学技術庁長官併任。 |
讃岐塩江 |
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昼の螢を |
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いただきぬ |
平成5年(1993年)6月13日、金子兜太は「ほたる祭り」に塩江を訪れた。 地元の温知会(ほたるの養殖・育成をしている会)の会長が、金子氏にほたるをプレゼントした際に詠まれた句だそうだ。 平成6年(1994年)、金子兜太は第7回全国健康福祉祭かがわ大会にて「俳句と人生」講演。 |
お大師さんや |
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お薬師さん |
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あれは河鹿か |
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ひぐらしか |
昭和5年5月、雨情は作曲家の中山晋平と「高松小歌」作詞のため高松を訪れた。その夜、塩江館で宿泊した。当時の山田徳三郎村長(山田竹系の父)が接待にあたった。川のほとりにたった雨情は、豊かな自然に魅了され、思わず浮かんだのが、この即興詩と言われている。 |