昭和13年(1938年)11月1日、星野立子は高松駅から志度寺に案内された。 |
高松の駅には白川朝帆さんが元気に出迎へて下さつた。 自動車に分乗して志度寺といふところへ連れて行かれる。 志度寺は謡曲にもある有名な「海女」のはなしが今もの こつてゐる通り、何ともいへない静かなもの淋しいお寺 であつた。 秋晴や海女野の白き道見ゆる |
潮風の海女の墓にも切子かな |
海女の墓天武の昔、淡海公藤原不比等は、唐の高宗妃から送られた面向不背の玉が、志度沖で竜神に奪われたため、身分をかくして都から志度の浦を訪れ、純情可憐の海女と恋仲になり、一子房前(ふささき)が生れた。淡海公から事情を明かされた海女は、瀬戸の海にもぐり竜神とたたかい玉を取り返したが、竜神のため傷つき真珠島で命を果てた。 後年大臣となった房前は僧行基を連れて志度を訪れ、千基の石塔を建てて母の冥福を祈ったという、殉愛悲恋のヒロイン海女の墓である。かたわらに五輪の塔と経塚がある。 毎年旧暦6月16日には、大法会が行われ、十六度市が立ち、1300余年の昔をしのぶ、供養がいまなお続けられている。
さぬき市文化財保護協会 |
盆に来て |
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海女をとむらふ |
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心あり |
昭和二十七年九月五日志度寺参拝の折の句。この時汀子・杞陽同道す。 |
海女のその物語今秋の海 夏服の女現はれ墓よぎる その海女の話の墓の片陰に |