2020年香 川

合田丁字路〜高浜虚子の句碑〜
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琴電琴平線一宮駅から岡本駅へ。

 駅前の県道282号高松琴平線(琴平街道)から線路を越えると奈良須池がある。


坂を下って路地に入ると、旧合田丁字路邸がある。

合田丁字路は琴平町桜屋旅館の主人。本名久男。

 昭和21年(1946年)11月10日、高浜虚子は星野立子琴平公会堂でホトトギス六百号記念四国大会。桜屋旅館に泊まる。

十一月十日。ホトトギス六百号記念、四国俳句大会。琴平公会堂。
桜屋二泊

 たまたまの紅葉祭に逢ひけるも

 老禰宜の紅葉かざして祭顔

 伝奇にも酒手くれうぞ紅葉駕

 片棒は凡哉なりしか紅葉駕


 十一月十日。琴平詣。父は準備されてあつた籠に乗る
とのこと。はじめのうちは私等と一緒に何段もの尽きる
ことのない程の石段を登りはじめる。

 丁度この日は紅葉祭といふ祭がある日であつた。もみ
ぢまつりといはないでもみぢさいと人々は呼んでゐた。
本殿の参拝を終へて下りはじめて、殆んど中頃位まで来
た時に、行列は下から登つて来るところであつた。神官
たちはみな頭に紅葉をさしてゐるのが風情があつた。

  次々と人登り来る宮紅葉

  人散るや紅葉祭をまち顔に

  石段の半ばに憩ふ宮紅葉

  ゆくりなく紅葉祭に来あはせぬ

 行列を見送つて、石段の途をそれて坂道を下る。

  坂道や山茶花垣に曲りゆく


道路沿いに高浜虚子の句碑があった。


たまたまの紅葉祭に逢ひけるも

昭和24年(1949年)10月20日、合田丁字路建立。

風化が進んで、よく読めない。

 昭和二十四年十月二十日、この句碑が香川県琴平町桜屋旅館玄関前の青木の蔭に建てられた。高さ三尺七寸、幅二尺七寸、厚さ八寸。この宿の主人合田丁字路氏はホトトギスの同人で旅館を「俳諧の宿」と称して居る。昭和二十一年十一月十日、高浜虚子はホトトギス六百号記念四国大会に出席のため西下された虚子翁の宿泊を記念して建設したものである。

 金刀比羅神宮では毎年十一月十日紅葉祭という祭典がある。神官等奉仕の人々紅葉の枝をかざして祭列を彩ること恰も加茂の葵祭に似て居る。


俳諧の宿


昭和29年(1954年)、ホトトギス同人となる。

昭和41年(1966年)10月、合田丁字路の句碑建立。

昭和47年(1972年)2月、高浜年尾の句碑建立。

合田丁字路の句碑もあった。


大いなる決断をして爽やかに

昭和63年(1988年)10月10日、合田丁字路建立。

昭和五十六年九月一日、櫻屋旅館は琴平町に於ける二百八十年の老舗を閉ぢ、高松市に新店舗を構へ、この地に居館を建てた。この碑はその折に家族一同が熟慮決断を爲した證として、子孫に傳へるべく建設したものである。

平成4年(1992年)10月28日、合田丁字路は85歳で没。

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