新渡戸稲造(1862―1933年)は盛岡の人。米欧に学び「太平洋の橋」を志した。代表的著作に英文「武士道」、日本における民主主義思想教育の先覚者で世界的な国際人、その業績は多方面に及ぶ。
この胸像は台湾の実業家・許文龍から新渡戸稲造生誕150年を記念して贈られた。
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平成24年(2012年)10月24日、建立。
後日、撮った写真である。
盛岡駅東口には石川啄木の歌碑がある。

ふるさとの山に向ひて
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言ふことなし
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ふるさとの山はありがたきかな
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『一握の砂』収録の歌である。
昭和37年(1962年)11月、石川啄木五十回忌を記念して盛岡市・盛岡啄木会建立。
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7年前に来た時は雪の中だった。
盛岡市馬場町に「石川啄木・若山牧水友情の歌碑」があるというので、行ってみた。
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盛岡市馬場町の中津川沿いに下橋中学校がある。
下橋中学校の正門前に「石川啄木・若山牧水友情の歌碑」あった。

教室の窓より遁げて
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ただ一人
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かの城址に寝に行きしかな
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石川啄木
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城あとの古石垣にゐもたれて
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聞くともなき
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波の遠音かな
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若山牧水
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啄木の歌は『一握の砂』収録。牧水の歌は『朝の歌』収録。
啄木が晩年最も心を許し合った友人若山牧水は、盛岡を2度訪れており、啄木がこよなく愛し歌った不来方城で、啄木を偲びながら数首詠じております
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大正5年(1926年)3月15日、若山牧水は松島から盛岡へ。その後青森から秋田へ。
大正15年(1926年)10月22日、牧水は盛岡泊、24日札幌着。その後1ヵ月半北海道を巡る。
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