側面には千代尼の句「百なりやつるひとすじの心より」の文字が刻まれていたようだ。 |
当寺は明應3年明源法師(富樫の一族にして河北郡三谷村釣部に隠棲)に依って石川郡御手洗村徳光字中埜の地に開創され、はじめ中埜山徳光寺と号したが、文禄4年聖興寺と改称。慶長6年石川郡宮保村に移築、慶安元年更に現在地に三転した。本堂は明治24年焼失後、明治31年に再建落成。 |
大正2年(1913年)10月19日、高浜虚子は松任駅に暁烏敏の出迎えを受け聖興寺の千代尼塚を参拝、明達寺に泊まる。 |
加賀松任聖興寺に千代尼の百五十回忌を修す 朝顔の種もこぼれよ初時雨 加賀松任を過ぎるとて 梅雨淋し門閉じ早き千代尼堂 |
昭和44年(1969年)8月27日、荻原井泉水は千代尼塚を見ている。 |
加賀千代塚 |
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このひとの塚として萩のうねりかな |
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