寿永2年(1183年)、松任十郎範光入城。 天正5年(1577年)、上杉謙信が松任城を包囲するも落城せず。 天正11年(1583年)、前田利長は豊臣秀吉より松任4万石を与えられ越前国府中より入城。 天正13年(1585年)、利長は越中犬山城へ移る。 慶長5年(1600年)、前田利長は徳川家康より松任4万石が加増される。 慶長19年(1614年)、翌年発令される一国一城令に先んじて廃城とする。 慶長19年(1614年)5月20日、利長没。 |
「古事記」の中より、須佐之男の命が子生みの果てに死んでしまわれた母の国へ行きたいと、泣きに泣き給う姿を想い濡れ立っている自分の中から、この表現句が出てきた。
野本永久自句解題 |