黒島の始まりは、山間部の釜ヱ口集落で農業と漁業を営んでいた人々のなかから、この七軒で集落を形成し、漁業をなりわいとしていました。いまでも「七軒町」という呼び名が残っており、黒島の発祥といわれています。黒島という地名は16世紀には確認できるようになります。磯にある高島という岩が黒島と呼ばれたことに由来するとの説もありますが、真偽はわかっていません。 小さな漁村として始まった黒島は、曹洞宗大本山總持寺(現在は祖院)との結びつきや、日本海航路による廻船業の発展にともない、幕府領(天領)ということもあって多くの北前船主が活躍しました。これによって江戸時代から明治中期にかけて隆盛を極めました。黒島の総鎮守である若宮八幡宮には、海上安全を祈願した船絵馬が奉納されており、往時をしのぶことができます。 このような歴史をもつ黒島には、かつての船主をはじめとして、船頭や水主(かこ)(船の乗組員)の住宅が数多く残され、町並みを形成しています。能登地方を代表する町並みとともに地区全体にわたり、「伝統的建造物群及び地割がよく旧態を保持している」として、平成21年6月30日に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
重要伝統的建造物群保存地区選定記念 平成22年3月 黒島地区まちづくり協議会 設置 |