2009年石 川

本龍寺〜銭屋五兵衛〜
indexにもどる

金沢市金石西に本龍寺という寺がある。


本龍寺


真宗大谷派の寺である。

松の木の下に芭蕉の句碑があった。


小鯛さす柳すゝしや海士か軒

元禄2年(1689年) 7月、『奥の細道』の旅の途上で詠まれた句。

出典は『芭蕉翁發句集』

 『曽良書留』では「海士がつま」、『雪満呂気』『蕉句後拾遺』では「海士が家」。

 7月23日(陽暦9月6日)、芭蕉は金沢の俳人雲口に誘われて、宮ノ越に遊んだ。

一 廿三日 快晴。翁ハ雲口主ニテ宮ノ越ニ遊。

『曽良随行日記』

「宮ノ越」が金石である。

   西浜にて

小鯛さす柳すゝしや海士か妻
   翁

 北にかたよる沖の夕立


昭和24年(1949年)6月、藏尚太郎月明建立。

本龍寺には銭屋五兵衛の墓がある。

 銭屋五兵衛は北前船で財をなし、「海の百万石」と呼ばれた。宮腰は北前船の中継港であった。

金石銭五公園に銭屋五兵衛の像がある。


舊友今村次七君金澤より上京。路地裏の寓居に來訪せらる。今村氏の家は錢屋五兵衞とは遠き縁つゞきの由。金澤市外の海岸なる街道筋に一株の古松あり。徃昔錢屋の一族處刑せられし時、五兵衞の三男要藏といへるもの湖水埋立の名前人なりしかば、罪最重く、この街道にて磔刑に處せられたり。其の頃には松多かりしが次第に枯死し、今はわづかに一株を殘すのみ。人々これを錢屋の松と稱へ、金澤名所の一つとはなれり。今村君こゝに石碑を建て、古枩の名の由来を刻して後世に傳へたしと、こまごま語り出されたる後、余に古松の命名と碑文の撰とを需めらる。余はその任に堪えざれば辭したり。

『斷腸亭日乘』(大正8年5月18日)

鴨暮れて錢屋五兵衛を空しうす

阿波野青畝『除夜』

昭和59年(1984年)の句。

2009年石 川〜に戻る