2019年石 川

安宅住吉神社〜碑巡り〜
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小松空港から安宅住吉神社(HP)へ。

空港からはすぐだが、路線バスで行くと大変だ。

参道の右手に塩田紅果の句碑があった。


 落ちて行く
主従を偲ぶく
 松しくれ

明治27年(1894年)、塩田紅果は伊賀上野に生まれる。

昭和2年(1927年)、京都で『蟻の塔』を創刊。

昭和18年(1943年)11月、蟻塔会は愛染院に「偲翁碑」を建立。

昭和41年(1966年)11月、蟻塔會は塩田紅果の句碑を建立。

昭和63年(1988年)、没。

安宅住吉神社


勧進帳を読む弁慶像


社殿の裏手に与謝野晶子の歌碑がある。


松たてる安宅の砂丘その中に清きは文治三年の関

森本之棗の句碑


雲に思ひの

   高館遠し昼がおに

昭和53年(1978年)9月、建立。

松林の中に森山啓の文学碑があった。

かれらは
永劫止むこともないやうな
潮騒と松風の音に包まれ
触れあふ手さへ全身に
燃え上るもののために震えた。

「遠方の人」より

昭和50年(1975年)11月、建立。

森山啓

本名森松慶治。明治37年、新潟縣に生る。詩・評論・小説などの創作活動に入り、遠方の人・萱原・海の扇などの作品を発表。昭和16年、東京より妻のふるさと小松に移住、梯川や手取川流域の歴史と風土を愛し、謙虚で詩情充ちた作風で知られる。

知らなかった。

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