鹿島大神宮 常陸國鹿島郡鹿島郷、正殿武甕槌神(たけみかつちのみこと)、相殿神、右は經津主命、左は天兒屋根命を祭れり。 神代の昔より、この所に鎮座(しづまりまし)し大神にて、いともいともふるき事なり。風土記に、淡海大津朝(天智天皇なり)初遣二使人一造二神之宮一自レ爾以來、修理不レ絶云云としるせり。猶委しき事は鹿島志に詳かなれば略す。 萬葉集に 霰降鹿島の神を祈りつゝ皇御軍(すべらみくさ)に我はきにしを |
『万葉集』(第20巻)
那賀郡(なかのこほり)の上丁(かみつよほろ)大舎人部(おほとねりべの)千文(ちふみ) |
『もとの水』、『俳諧一葉集』、『芭蕉翁句解参考』に収録されているが、存疑の句とされる。 |
『諸国翁墳記』に「常陸国鹿島三笠山碑圖 蕉翁句并四十五人句 彫刻 暦外書 下サ香取郡小見川 須田氏 飯田 東 氏」とある。 |
○奉納 額にて掃や三笠の華の塵 |
宝永6年(1709年)、明式法師は鹿島神宮に参詣している。 |
知人有てあないさせ、鹿島に參社す。太神宮は布都主(ふつぬし)の尊とかや。東夷征伐のため下り給ふ。高間はらはむかしの陣所なり。 |
享保元年(1718年)8月16日、千梅林亜請は鹿島神宮に参詣している。 |
午の刻はかり鹿島につく磯辺に御鳥井たつ是ヨリ舟をあかり御殿まては十余丁直に社参す御社は乾の方にむきて立せ給ふ或抄に南向としるされたるいといふかし塩たにさせは御まへのはた板まては海になり侍ルと書れたるも大キにたかひ侍る今の御殿は中々海に遠く森々タル老樹梢ヲ埋むて立つゝき海にのそめは夜狐輪の月を見おろす神の御こゝろの高く宮ゐし給ふもとうとし 御造栄も幾年経にけむ玉垣楼門あふれ朽宮殿もさすかにめてたきよりいや増リ有かたさも身に入て覚ゆ |
宝暦3年(1753年)、横田柳几は鹿島神宮を訪れている。 |
一日境内をめくる。此神は武甕槌尊にして春日明神と一躰分身にましますよし。されはこそ宮ゐの俊を三笠山といふ。 |
明和元年(1764年)11月20日、内山逸峰は鹿島神宮で歌を奉納している。 |
明る朝、鹿島太神宮へ奉る。 いつとても神のこゝろに咲はなの香島かしこしよもの国まで かしこしないま安国と治まるもたけみかづちの神のいさをし |
安永7年(1778年)8月17日、横田柳几は再び鹿島神宮を訪れ、句を奉納している。 |
○十七日雨降出して東西を分たず宿の子をあなひにて御社に詣す宮居神さび木立ものふりて忝なさに涙こほるゝの詠も身にしみて偈(ママ)仰の頭をぬかつきねぎことし侍りて |
神前奉納句 |
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鹿の音にかはらぬ色の御山かな | 柳 |
天明4年(1784年)8月、美濃口春鴻は鹿島神宮を訪れ、句を奉納している。 |
鹿嶋奉納 神杉や身に冥加なる秋の声 |
柿麿、虎杖は江戸時代末頃の俳人で、親子と言われているそうだ。 虎杖は神宮近くの豪商で高安佐七という人で、鹿島神宮の御神前の石畳を奉納した。元は牛堀(現在は潮来市)の出身で、鹿島近辺の俳人であり、この周辺では有名であったようだ。 句碑は虎杖と兄の2名で建てたようで、句は親子、建立は兄弟と言われていて、混同しがちということだ。 |
安政4年(1858年)3月、須田柿麿の喜寿を記念して芭蕉の句碑が建立された。 |
文化14年(1817年)5月26日、小林一茶は鹿島神宮を訪れた。 |
武井 鹿島詣
『七番日記』(文化14年5月)
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一茶は奥宮の前にある芭蕉の句碑を見ているはずだが、句碑には触れていない。 |
鹿島 大なへ(ゐ)にびくともせぬや松の花
『八番日記』(文政4年9月)
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要石の下には大鯰(おおなまず)がいると言われていて、要石が地震を起こす地底の大鯰の頭を押さえているから、鹿島地方では大きな地震がないと伝えられているそうだ。 「松の花」は春の季語。新しい枝の頂部に2〜3個の雌花が、その下方に多くの雄花がついて花粉を散らす。 |
安政5年(1858年)3月26日、赤松宗旦は鹿嶋大神宮へ参詣している。 |
廿六日曇ル 健蔵を召連朝とく立て 鹿嶋大神宮へ参詣。 大船津の河岸より神宮迄 十六丁、石橋を渡りて神領 なり。夫より坂を登りて程なく 鹿島の町なり。 鳥居を入りて一丁斗 鹿島大神宮本社
赤松宗旦『銚子日記』
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大正12年(1923年)2月、北原白秋は香取から潮来へ、潮来から鹿島へ。 |
香取より鹿島へまゐる舟の路物思はずあらむゆたに榜ぎつつ 靄ごもり鹿島遊行ぞおもしろき蛙(かへる)啼く田の間あひを榜ぎつつ
『海阪』(浅春舟行)
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昭和6年(1931年)2月26日、与謝野晶子は筑波山から鹿島神宮を参拝。 |
昭和8年(1933年)10月1日、高浜虚子は武蔵野探勝会で鹿島神社を訪れた。 |
加藤洲の大百姓の夜長かな 昭和八年十月一日 武蔵野探勝会。常陸鹿島神社行。 |
昭和44年(1969年)6月15日、星野立子は玉藻探勝会で鹿島神宮へ。 |
六月十五日 玉藻探勝会 潮来 鹿島神宮 |
船頭に行手まかせて行々子 神さびて大緑蔭に宮居あり |