昭和29年(1954年)7月、山口誓子は淡路島へ行って渦潮を見た。橋本多佳子は同行。 |
渦潮をなせるは海の岩場にて 渦潮の寶冠なして湧きかへる
『構橋』 |
昭和31年(1956年)3月、山口誓子は淡路島へ行って鳴門の渦潮を見た。 |
鳴門行 湧きかへる春潮船と淡路の隙(ひま) 巖(いはほ)動かず渦潮の自在境 渦潮の底を思へば悲しさ滿つ 渦潮を兩國(ふたくに)の岬(さき)立ちて見る
『方位』 |
三月、再び淡路島へ行って、門崎(とざき)から鳴門の渦潮を見た。 鳴門の海峡を狭めているのは、淡路の門崎と徳島の孫埼とである。両国(ふたぐにのさき)とはその二つの崎である。 その二つの崎は、そそり立って、両方から、渦巻く潮を見ていた。傍観者の私は、私自身二つの崎になりきったのだ。私自身が崎になりきれば、崎は私自身になる。 この句の成立には、万葉集の「香具山と耳梨山と会ひし時立ちて見に来し印南国原」のおかげを蒙っている。この歌の「立ちて見に来し」が「立ちて見る」になったのだ。 徳島の孫埼へは、昭和三十二年の四月に行って、そこからも渦潮を見た。
『山口誓子自選自解句集』 |
波あげて鵜岩の孤独わだなかに 渦潮に対ふこの大き寂しさに 燈台守よたぎつ渦潮汝(な)とへだつ 渦潮の圏にて鵜岩鵜を翔(た)たす
『海彦』 |
承応3年(1654年)、服部嵐雪は淡路国三原郡小榎並村(現:兵庫県南あわじ市榎列小榎列)に生まれる。 |