2019年兵 庫

道の駅うずしお〜碑巡り〜
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南あわじ市福良丙に「道の駅うずしお」がある。

 昭和29年(1954年)7月、山口誓子は淡路島へ行って渦潮を見た。橋本多佳子は同行。

渦潮をなせるは海の岩場にて

渦潮の寶冠なして湧きかへる

『構橋』

 昭和31年(1956年)3月、山口誓子は淡路島へ行って鳴門の渦潮を見た。

   鳴門行

湧きかへる春潮船と淡路の隙(ひま)

(いはほ)動かず渦潮の自在境

渦潮の底を思へば悲しさ滿つ

渦潮を兩國(ふたくに)の岬(さき)立ちて見る

『方位』

「道の駅うずしお」の入口手前の右側に山口誓子の句碑があった。


   淡路門崎

渦潮を両国(ふたくに)の岬(さき)立ちて見る

 三月、再び淡路島へ行って、門崎(とざき)から鳴門の渦潮を見た。

鳴門の海峡を狭めているのは、淡路の門崎と徳島の孫埼とである。両国(ふたぐにのさき)とはその二つの崎である。

その二つの崎は、そそり立って、両方から、渦巻く潮を見ていた。傍観者の私は、私自身二つの崎になりきったのだ。私自身が崎になりきれば、崎は私自身になる。

この句の成立には、万葉集の「香具山と耳梨山と会ひし時立ちて見に来し印南国原」のおかげを蒙っている。この歌の「立ちて見に来し」が「立ちて見る」になったのだ。

徳島の孫埼へは、昭和三十二年の四月に行って、そこからも渦潮を見た。

『山口誓子自選自解句集』

橋本多佳子は山口誓子に同行して鳴門の渦潮を見た。

波あげて鵜岩の孤独わだなかに

渦潮に対ふこの大き寂しさに

燈台守よたぎつ渦潮汝(な)とへだつ

渦潮の圏にて鵜岩鵜を翔(た)たす

『海彦』

「道の駅うずしお」を見上げる。


 承応3年(1654年)、服部嵐雪は淡路国三原郡小榎並村(現:兵庫県南あわじ市榎列小榎列)に生まれる。

嵐雪の句碑があった。


真夜半や振替りたる天川

出典は『其便』

『炭俵』には「七夕や」とある。

大鳴門橋


伍代夏子「鳴門海峡」の歌碑


徳島県鳴門市の網干休憩所にも「鳴門海峡」の歌碑がある。

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