かたがたに、いとかなしくおぼしめして、御前の梅花を御覧じて、 こちふかばにほひをこせよ、むめのはな、あるじなしとてはるをわするな
『大鏡』(時平伝) |
延喜元年(901年)2月、菅原道真公九州へ御左遷の御途次、海上風波高く航しかねて此地に上陸し給い、里の浦人等は網の綱を丸めて円座とし座を設けました。 道真公は、こゝに安居し給い暫らく旅の疲れを休められ、須磨の風光を賞でられた。菅公薨ぜられて後76年目の天元2年時の須磨人等がその御像を模し祠を建ててお祀り申し上げたのが当社の創始である。 当天満宮は日本25社の内第14番の霊社にして、特に学問の神として崇敬厚く神威赫々として庶民の信仰を集め霊験又顕著であります。 |
竹中郁 |
||||
いみじき松のたて琴に |
||||
かけてうたうや風と雲 |
||||
綱敷きのべていざないし |
||||
あまの足あといま消えて |
||||
その名をここに天神の |
||||
杜のきざはし石白く |
||||
むかしをしのぶわらべ子の |
||||
影ふみ交わすえらぎ声 |
||||
詩文の才ににおう |
||||
枝としのべし梅の花 |
||||
道真公のいさおしは |
||||
墨色深く残るなれ |
菅原道真公が15歳の元服の時、母君が贈った歌とされています。 あなたも早く試験に合格して立派な官吏になれよ――――― とわが子への励ましの歌です。 菅公の母君に関する物的史実はほとんど残っていません。 お姿、お名前も不明で、いつ、どこで出生したかも定かではありません。「家風」という言葉を最初にうたった方 で、大伴家持などを輩出した伴家の出身ということだけわかっているようです。 しかし、夫に尽くし、やさしく、我が子をかわいがりながらも、単なる教育ママでない厳しさと兼ね備えた女性だったという言い伝えが残っています。 |
東風吹かば匂おこせよ |
梅の花主なしとて |
春な忘れそ |