元禄6年、芭蕉50才の昇春、俳諧行脚の途中、この鎮守に詣で、一夜を明かした。宴梅の楚々と咲き薫るこの山麓に立ち、東を望み野田山の辺りに悠然と昇る朝日をとらえて、詠まれた句である。
寅卯会還暦記念 |
当八幡宮は貞観2年(860年)、御神託を受け奈良大安寺の僧行教が石清水八幡宮の御分霊を奉じて淡路に来島、建立したという由緒ある神社であります。石清水八幡宮の社殿を模し、壮麗輪奐の美を整えた当八幡宮は、往昔隆盛を極めておりました。(伽藍古図は護国寺にて保存)その後、室町時代暦応3年(1340年)阿讃の領主細川師氏、兵を率いて来たり、淡路国主宇原兵衛永真の軍と戦い田中川の合戦で大勝。その際、当八幡宮を祈願所として社殿を造営、爾来神馬、太刀、神田奉納が続けられました。 江戸時代に下り寛永8年(1631年)、阿波藩主蜂須賀忠英は当八幡宮を崇め奉り、伽藍を改造。本殿、拝殿、摂末社に至るまで悉く再建。現在の諸建物はこの時のものであります。 |