昆陽は古代からあった西国街道沿いに栄えた宿場町で、本陣(大名らの宿舎)も置かれていました。この付近は、平安時代の貴族らが好んで「昆陽野」「昆陽池」を和歌や俳句に詠み込むなど、古くから親しまれており、平安時代の武将平清盛(1118年から1181年)が昆陽野に都を造ろうとしたこともあります。 昆陽の地名については、古代国家の有力氏族「中臣氏」がこの地を支配した時、祖先の天児屋根尊(あめのこやねのみこと)の名前から『昆屋』の文字を取って地名にしたという説と約1200年前に僧行基が建立した昆陽寺からとった話のほか、小屋からきたとも伝えられています。 江戸時代には東町・中町・大工町・市場町・辻ノ町・佐藤町・小井之内の7町からなりたっていました。明治21年市町村制の公布により昆陽・千僧・池尻・寺本・山田・野間・堀池・南野・御願塚・中野・東野・西野を集め川辺郡稲野村となり、その役場が昆陽3丁目35番地付近に置かれていました。 昭和15年、伊丹町と合併し、伊丹市として発足し現在に至っています。この東天神社は猪名野総社として、僧行基が昆陽大池その他猪名野笹原を開拓された時(天平年間)その事業達成の祈願所とせられた由緒ある神社であり、また、この地の西には西天神社もあります。 |
こや池に生ふる菖蒲の ながき根は ひく白糸の心地こそすれ
詞花和歌集 待賢門院堀河 |
月なくて昼ハ霞むや こやの池 |
つのくにのあしのまろやのさびしさは |
ふゆこそわきてとふべかりけれ |