鬼貫は、姓は上島。寛文元年(1661年)4月4日、伊丹で誕生した。別号は、犬居士・馬楽童・仏兄(さとえ)など多種多様であるが、生涯を通じて用いたのは鬼貫号である。 はじめ和歌を学んだが、16歳のとき華やかな談林に心が移って、西山宗因に入門した。20歳からの4年間は沈思黙思の境に入り、ついに貞享2年(1685年)春に、「誠の外に俳諧なし」の開悟をとげた。そのときの句が有名な「おもしろさ急には見えぬすゝ哉」である。現在市中にはこの句の短冊・句切などが残っている他、随所に句碑が立てられており、芭蕉のさび・しおりに通じる「誠」の心を垣間見ることができる。 元文3年(1738年)8月2日、78歳の生涯を終え、居所からそう遠くない天王寺の禅刹鳳林寺に葬られた。墨染寺あるこの墓は、もともと一子永太郎の墓で、伊丹の人々が鬼貫の毛髪か分骨をここに収め、親子墓としたものである。
伊丹市教育委員会
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九月二十三日 鬼貫の墓に参る 花筒をそよりと出たる秋蚊かな 秋風の伊丹小町今通る 酒蔵の秋の日影をなつかしみ |