けふ、出羽国山の寺といふにまうでゝ、
はるばるとたづね出はの奥山の寺こそ冬はあはれまされり
此御寺は慈覚大師、比枝(叡)の山をうつして開き給へるとかや。宝珠山立石寺といふ山の姿、岩ほのけしき、言の葉にもつきたり。所々見廻りて時を移し日すでに暮たり、此の山の境内にとまる。
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明和6年(1769年)5月、蝶羅は立石寺を訪れ句を詠んでいる。
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最上立石寺
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山寺や雲を見下す岩蓮花
| 蝶羅
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天明2年(1782年)、田上菊舎は立石寺を訪ねた。
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其より立石寺といへる山刹を尋ぬ。此
寺は蕉翁の、「岩にしみ入蝉の声」の高吟
世に聞えし所也。甚清閑寂寞の地にて、巌かさ
なり、苔ふり、所謂、空翠庭陰に落る情有。
踏しめて登るも清し霜の花
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寛政3年(1791年)5月22日、鶴田卓池は天童を経て、山寺にいたる。
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立石寺
清水汲てしづまりかへるこゝろかな
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明治39年(1906年)、斎藤茂吉は立石寺の「修行の岩場」で歌を詠んでいる。
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みちのくの佛の山のこごしこごし岩秀(いはほ)に立ちて汗ふきにけり
『赤光』 |
明治39年(1906年)10月30日、河東碧梧桐は山寺を訪れた。
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山形の名勝山寺は、宝珠山立石寺というて慈覚大師の開基である。市を距(へだた)る東北三里の山中、二日峠の麓にある。
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昭和2年(1927年)10月、小杉未醒は「奥の細道」を歩いて、立石寺を訪れている。
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しづけさや岩にしみ入る蝉の聲、此句は思ふに杜甫の、伐木丁々山更幽の七字より數段優れたものであらう、此句より立石寺を想望し來つて、さてその山寺(此邊では專ら立石寺を山寺と云ふ)の山門を入れば、にぎやかな見物衆物賣りの店も並び、細道導者には、大分に當ての外れた景氣、
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昭和5年(1930年)7月、斎藤茂吉は立石寺を訪れている。
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立石寺の蝉を聞かむと來しかども雨降り蝉は鳴くこともなし
『たかはら』 |
昭和14年(1939年)5月19日、高浜虚子は山寺に行く。星野立子・富安風生等同行。
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夏山のトンネルでれば立石寺
銀杏の根床几斜に茶屋涼し
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清和天皇の勅願に依り慈覚大師の建立のお寺。
茶屋涼し野蒜ひとたば置かれあり
宿の婢に借りし日傘をもやひさし
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昭和28年(1953年)6月22日、水原秋桜子は立石寺を訪れている。
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立石寺
雲行けば梅雨ひぐらしは声継がず
『帰心』 |
昭和40年(1965年)、山口誓子は立石寺を訪れている。
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