一 廿九日
快晴。巳中尅、発足。石河滝(乙字ケ滝)見ニ行。(此間、さゝ川ト云宿ヨリあさか郡) 須か川ヨリ辰巳ノ方壱里半計有。滝ヨリ十余丁下ヲ渡リ、上ヘ登ル。歩ニテ行バ滝ノ上渡レバ余程近由。阿武隈川也。川ハヾ百二、三十間も有之。滝ハ筋かヘニ百五、六十間も可有。高サ二丈、壱丈五、六尺、所ニヨリ壱丈計ノ所も有之。
『曽良随行日記』 |
芭蕉句碑

五月雨の滝降りうつむ水かさ哉
出典は『青蔭集』(雨考編)。
『俳諧書留』は「さみだれは」。
須か川の駅より東二里ばかりに、石河の滝といふあるよし。行て見ん事をおもひ催し侍れば、此比の雨にみかさ増りて、川を越す事かなはずといゝて止ければ
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文化10年(1813年)11月12日、石井雨考の世話で江戸の如意庵一阿建立。
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この句碑と一緒に彫られたものが玉川村竜崎の旧家に芭蕉の句碑がある。
一阿は立川氏。浅井寥和の門人。別号一掬庵。
一阿の句
山ぶきや蟹やく家を中にして
汐干してはなしのやうな月夜哉
菜の花に咲なくされなそこの家
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元禄9年(1696年)、天野桃隣は石川の滝(乙字ケ滝)を訪れ、句を詠んでいる。
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須ヶ川、此所一里脇、石川の滝アリ。幅百余間、高サ三丈に近し。無双の川滝、遙に川下ヨリ見れば、丹州あまのはしだてにひとし。
○比も夏滝に飛込こゝろ哉
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ところで、須賀川に「須賀川」という川があるのだろうか。
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