元禄9年(1696年)、天野桃隣が芭蕉三回忌にあたって『奥の細道』の跡をたどった紀行文。 |
是ヨリ達谷が窟、岩洞ノ深サ十間余アリ。此洞に二階堂、八間ニ九間と見えたり。多門(聞)天安置ス。不断鎖テ人不入。大同二年田村丸建立と縁記(起)に有。所は高山幽谷にして、人倫絶たる辺土、いか成鬼か住捨て、旅人尋入て道に迷ふ。此所より山の目と云へ出、又一ノ関通リ金成村へ出る。此村一里脇に、つくも橋アリ。 梶原平次兼高 陸奥の勢は味方につくも橋 わたしてかけんやすひらが首 行ケば沢辺村十五丁南、川向にあねはの松アリ、則此辺栗原と云。宮野・築館・高清水、段々宿を来て、荒野と云宿、西北ニアタリ朽木橋アリ。栗駒山則伊沢郡ノ内也、此辺よりは見ゆる也。峯高、水無月の雪猶白し。 ○朴木の葉や幸のした涼 |
古川と云宿に来て、秋山寿庵に所縁アリ、尋入て一宿。 ○暑き日や神農慕ふ道の艸 緒絶橋、此古川の町内ニアリ。此橋の名、爰かしこにありて、以上四つは覚えたり。何も故有事にや。小町塚アリ。仙台名寄を見れば、中納言廷(延)房卿・西行法師、両説には、当国此所と有。髑髏の説は当国八十嶋と有。此嶋有所不知。 |
是より岩手へかゝる。磐提山、則城下の名也。いはでの関此所なり。 為家の山梔(くちなし)白し磐提山 |
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此所より下宮と云村へ出る。さきは鍛冶屋沢、此間ニ小黒崎・水のをじま(小島)アリ。 |
是より鳴(ナキ)子の温泉、前ニ大川綱渡し、彼十つなの渡し是成やと、農夫にとへどもしらず。 |
川向ニ尿前と云村アリ。則しとまへの関とて、きびしく守ル。 山路吟 ○おそろしき谷を隠すか葛の花 ○焼飯に青山椒を力かな |
是より尾花沢にかゝり、息を継んとするに、心当たる方留守也。 |
一のしに大石田へ出て加賀屋が亭に休足。爰より坂田への乗合を求下ル。 |
爰より彼最上川、聞及たるよりも、川幅広く水早し。左右の山続に滝数多アリ。中にも白糸の滝けしきすぐれたり。 ○短夜を二十里寐たり最上川 ○しら糸の滝やこゝろにところてん |
此川筋坂田迄二十一里、川の中、船関四ヶ所アリ。尤大石田宿よりの手形、右の所々にて入ル。能聞繕乗べし。なぎ沢・清水・古口・清川、此四所なり。 |
松嶋・象潟両所ともに感情深、其俤彷彿タリ。倭国十二景の第一第二、此二景に限るべし。 ○きさかたや唐をうしろに夏構 ○能因に踏れし石か苺(こけ)の花 芭蕉に供せられ曽良も此地に至りて ○波こさぬ契りやかけしみさごの巣 |
此所より右の道筋を坂田へ戻る。尤此所より津軽・南部・越後筋へ順よし。 |
六月十五日は羽黒山祭礼、三所権現神輿御出、鉾幡・傘鉾計ニテ、境内纔一丁計廻リ、其儘本社へ入せ給ふ。繕はぬ古例、謂レ有事とや。近郷挙テ詣ス。 ○五十間練ルを羽黒のまつり哉 ○吹螺に木末の蝉も鳴止ぬ |
遙に見れば五重の塔、是は鶴ヶ岡城主建立たり。別当は若王(やくわう)寺、高山の岨(そば)を請ておびたゞしき一構、風景いふに及ず。 |
湯殿山へ登るに、麓は青天、山は雨、漸(やうやう)月山ニ詣て、雪の巓牛が首と云岨に一宿。 |
早天湯殿奥院へ詣ス。諸国の参詣、峯渓に満々て、懸念仏は方四里風に運び、時ならぬ雪吹(ふぶき)に人の面見えわかず、黄成息を吐事二万四千二百息。 ○大汗の跡猶寒し月の山 ○山彦や湯殿を拝む人の声 曽良登山の比 ○銭踏て世を忘れけり奥院 |
しづと云へかゝりて、山形の城下へ出ル。此所より廿丁東、チトセ山を(お)のづから松一色にして、山の姿円(まどか)なり。梺二大日堂・大仏堂、後の梺二晩鐘寺、境内に実方中将の墓所有。仏前の位牌を見れば、 当山開基右中将四位下光孝善等 あこやの松、此寺の上、ちとせ山の岨(そば)に有けるを、いつの比か枯うせて跡のみ也。はつかし川は、ひら清水村の中より流出る。ちとせ山の梺也。 ○秋ちかく松茸ゆかし千歳山 最上市 ○野も家も最上成けり紅の花 |
宝珠山、阿所川院、立石寺所ノ者は山寺と云。城下ヨリ三里、慈覚大師開基。 |
○閑さや岩にしみ入ル蝉の声 | 芭蕉 |
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○山寺や岩に負ケたる雲の峰 | 桃隣 |
天野桃隣は『奥の細道』の跡をたどる旅の帰途で桑折の田村不碩宅に足を休めている。 |
是より段々出て桑折に着ク。田村何某の方に休足。 仙台領宮嶋の沖より黄金天神の尊像、漁父引上ゲ、不思儀(議)の縁により、此所へ遷らせたまひ、則朝日山法円寺に安置し奉ル。忽の御奇瑞に諸人挙て詣ス。まこと所は辺土ながら、風雅に志ス輩過半あり。げに土地清浄、人心柔和なるを神も感通ありて、鎮座し給ふとは見えたり。農業はいふに及ず、文筆の嗜ミ、桑折にとゞめぬ。 天神社造立半 ○石突に雨は止たり花柘榴 |
7月、天野桃隣は『奥の細道』の跡をたどる旅の帰途で須賀川に2泊し、諏訪明神へ参詣して句を詠んでいる。 |
須ヶ川に二宿、等躬と両吟一卷満ぬ。所の氏神諏訪宮へ参詣、須田市正(いちのかみ)秀陳饗応。 ○文月に神慮諫ん硯ばこ |
又こゆべきと、白河にさしかゝり、 ○しら露の命ぞ関を戻り足 |
遊行柳芦野入口一丁右へ行、田の畔(くろ)に有。不絶清水も流るゝ。 ○秋暑しいづれ芦野ゝ柳陰 |
宇津宮へかゝり、社頭に登て叩首(ぬかづく)に、額日光宮と書リ。二荒を遷敬し奉る(り)けるにや。 ○笠脱ば天窓撫行一葉哉 |
小山に宿ス。七夕の空を見れば、宵より打曇、紅葉の橋も所定めず、方角を知べきとて、月を見れば影なし。力なく宿を頼、三寸(みき)求め、牽牛・織女に備へ、間なくいたゞきてまどろみぬ。 ○又起て見るや七日の銀河 |
浅草に入て、はや江戸の気色、こゝろには錦を着て編綴(へんてつ)の袖を翻し、観音に詣ス。 ○手を上ゲて群集(ぐんじゆ)分ケたり草の花 |
ばせを老人の行脚せしみちのおくの跡を尋ねて、風雲流水の身となりて、さるべき処々にては吟興を動し、他の世上のこゝここゞろを撰(えらみ)そへて、『むつちどり』と名付らる。其人は武陽の桃隣子也。予がむかし、かならず鹿嶋・松島へといへるごとく、己を忘れずながら年のへぬれば、夕を秋の夕哉といひけむ、松島の夕げしきを見やせまし、見ずやあらまし。みちのおくはいづくはあれど松島・鹽竈の秋にしくはあらじ。花の上こぐ海士の釣舟と詠じけるをきけば、春にもこゝろひかれ侍れど、なを(ほ)きさかたの月、宮城野の萩、其名ばかりをとゞめを(お)きけむ実方の薄のみだれなど、いひつゞくれば、秋のみぞ、心おほかるべき、白河の秋風。 時是元禄丑の年秋八月望にちかきころ
素堂かきぬ |