何気なく通り過ぎると、「おくのほそ道 美豆の小島」の小さな案内があった。通り過ぎると、また「美豆の小島」の案内があった。 |
元禄2年(1689年)5月15日(陽暦7月1日)、芭蕉と曽良は尿前の関に向かう途中、歌枕「美豆の小島」に立ち寄った。 |
をぐろ崎みつのこじまにあさりする田鶴ぞなくなり波たつらしも | 四条天皇 |
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人ならぬ岩木もさすが恋しきは美豆の小島の秋の夕暮れ | 順徳院 |
○此間、小黒崎・水ノ小島有。名生貞(名生定)ト云村ヲ黒崎ト所ノ者云也。其ノ南ノ山ヲ黒崎山ト云。名生貞ノ前、川中ニ岩島ニ松三本、其外小木生テ有。水ノ小島也。今ハ川原、向付タル也。古ヘハ川中也。(曽良随行日記) |
『曽良随行日記』によれば、芭蕉が訪れた頃、「小島」は向こう岸に接していたらしい。 |
此所より下宮と云村へ出る。さきは鍛冶屋沢、此間ニ小黒崎・水のをじま(小島)アリ。 |
現在の松は、明治43年(1910年)の大洪水で流出したため、土地の人々が修復し、歌枕を蘇らせたもの。 |