これによると小黒崎みつの小島など皆陸前の名所で、鳴子の湯もその玉造郡の出羽に近い処であるから、芭蕉は奥の細道を平泉に止めて、一旦南下したことがわかる。
然るにここに「岩手の里」とあるのが不審で、平泉以南に岩手の里という処はない。地理上から案ずると、どうしても今の一の関でなければならぬ。一の関はまた磐井ともいう。これは大方「岩井の里」の誤りであろうと思う。
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河東碧梧桐の誤りである。
大正11年(1922年)12月2日、大町桂月は岩出山を訪れている。
東北線の小牛田駅より陸羽線に取り、一時間にして、岩出山駅に達す。岩出山は山の名に非ずして、市街の名也。岩手山と混同すべからず。伊達政宗は米沢より出でて、この地に移り、後に仙台に移れる也。池月駅と川渡駅との中央あたり、右に近く小黒崎山あり。紅葉の勝地也。なほ進んで陸羽の界に至れば、紅葉の美、世に優れたり。
「鳴子温泉」 |
商店街のポケットパークにある芭蕉像。

芭蕉像の隣に岩出山交番がある。岩出山交番の隣が「芭蕉一宿の地」らしい。
この時芭蕉が通ったと思われる古道が「国指定史跡陸奥上街道」として整備され、いにしえを偲ぶことができます。
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元禄9年(1696年)、天野桃隣は磐提山(いわでやま)を訪れて、句を詠んでいる。
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是より岩手へかゝる。磐提山、則城下の名也。いはでの関此所なり。
為家の山梔(くちなし)白し磐提山
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県道17号栗駒岩出山線が「陸奥上街道」らしい。
岩出山町から千本松長根へ。
平成18年(2006年)3月31日、岩出山町は古川市、三本木町、松山町、田尻町、鹿島台町、鳴子町と合併して大崎市になった。
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