元禄2年(1689年)5月15日(新暦7月1日)から3日間、芭蕉は「封人(ほうじん)の家」に逗留した。この「封人の家」が「旧有路家住宅」。 創建以来300年以上は経っていると推定されるそうだ。芭蕉が逗留した頃の建物がそのまま残っているわけである。 「封人」とは国境を守備する役人のこと。有路家は堺田村の世襲庄屋で、国境を守備する役人となり、さらに問屋と旅宿も兼ねていた。 |
昭和2年(1927年)10月、小杉未醒は「奥の細道」を歩いている。 |
細道の本文、のみしらみ馬の尿する山家に宿つたのは、此の峠と鵜杉の村の間と思はれる、封人の家の封人を註して、國境の役人とあれば、陣森堺田あたりでもあるか、三日の荒天で山中逗留と云ふは、溪川の出水で橋でも落されたか、 |
昭和41年(1966年)11月、阿波野青畝は尿前の関を訪れている。 |
尿前のしぐれて虹を立てにけり 尿前のしぐれ溜め在り実なし栗
『旅塵を払ふ』 |