『奥の細道』東 北


出羽三山三神合祭殿

山形県鶴岡市から県道47号立川羽黒山線で羽黒山へ。


  羽黒山参道に羽黒山五重塔がある。


平将門の建立と伝えられている。。

昭和41年、国宝(第217号)に指定された。

有料道路経由で山頂へ。

  出羽三山神社参集殿


出羽三山神社(HP)は延喜式内社

 月山、羽黒山、湯殿山の3つの山を出羽三山という。それぞれの高さは1984m、414m、1504m。月山、湯殿山は冬期間積雪のため参拝ができないので三神を祀るようになったという。

芭蕉像が有る。


元禄2年(1689年)6月3日(陽暦7月19日)、芭蕉は羽黒山に登った。

 六月三日、羽黒山に登る。図司左吉と云者を尋て、別当代會覚阿闍梨に謁す。南谷の別院に舎して、憐愍の情こまやかに、あるじせらる。 四日、本坊におゐて俳諧興行。 有難や雪をかほらす南谷。

元禄二、六月四日、羽黒山本坊におゐ(い)て興行

有がたや雪を薫らす風の音
   ばせを

 すみけん人のむすぶ夏艸
   露丸


 6日に月山頂上まで登り、山小屋に一夜を明かして、7日には湯殿山神社に詣でた。

 行尊僧正の哥の哀も爰に思ひ出て、猶まさりて覚ゆ。惣而此山中の微細、行者の法式として他言する事を禁ず。仍て筆をとゞめて記さず。坊に帰れば、阿闍利の需に依て、三山順礼の句々短冊に書。

芭蕉は健脚だ。私は月山など登れない。

 元禄2年(1689年)6月10日、芭蕉は鶴岡へ。会覚阿闍梨は餞別の句を贈っている。

   餞別

 羽黒本坊
忘なよ虹に蝉啼く山の雪
   会覚

 杉のしげみをかへりみか月
   ばせを


 元禄9年(1696年)6月15日、天野桃隣は羽黒山祭礼を見て句を詠んでいる。

 六月十五日は羽黒山祭礼、三所権現神輿御出、鉾幡・傘鉾計ニテ、境内纔一丁計廻、其儘本社へ入せ給ふ。繕はぬ古例、謂有事とや。近郷挙テ詣

   ○五十間練を羽黒のまつり哉

   ○吹螺に木末の蝉も鳴止ぬ


 元禄10年(1697年)、広瀬惟然は羽黒山を訪れて句を詠んでいる。

羽黒山に僧正行尊の名ありけるに、人々案内せられて

豆もはやこなすと見ればおどろかな

時を今渡るや鳥の羽黒山


 享保元年(1716年)7月7日、稲津祇空は常盤潭北と奥羽行脚。羽黒権現に参詣している。

あくれは七月七日、南枝きたりて案内して権現のみやしろにまいる。

かけごしに見よ鵲の羽くろ山

眉半に暑さやをくる上羽黒
    北


 昭和14年(1939年)6月、芭蕉の奥の細道250年を記念して羽黒山で慰霊祭。

   今年は芭蕉翁登拜の昔より二百五十年に當るとかや
   御山の中興天宥法印の御靈と併せて慰靈祭を行はる

むかし雪をかをらす雪水かこれの青葉ぐもり

水のべ清淨と夏の木の葉を掃く


鼠ヶ関に向かう。

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