『奥の細道』


〜養源院跡〜

日光東照宮から東照宮美術館に向かう。


東照宮美術館の裏に東照宮社務所がある。


東照宮社務所の紅葉が鮮やかである。


東照宮社務所の脇の道を行くと、養源院跡がある。

養源院跡

 寛永3年(1626年)、水戸頼房の養母英勝院が妹の於六(おりく)の方の菩提を弔うために建てた寺である。家康の側室であった於六の方の院号が養源院であったことからそのまま寺号とした。水戸家が代々の大檀家で、元禄2年(1689年)には、松尾芭蕉が奥の細道行脚の途中、この寺を訪れてから東照宮に参詣した。

 明治以降廃寺となった。

養源院跡


今では石垣が残るだけ。

石垣の奥に落ち葉に埋もれるようにして石仏があった。


石仏の奥に墓石が2つ。右の墓石が養源院、左は英勝院の墓石らしい。

元禄2年(1689年)4月1日(新暦5月19日)、芭蕉は日光東照宮に参詣した。

 卯月朔日、御山に詣拝す。往昔此御山を二荒山と書しを、空海大師開基の時、日光と改給ふ。千歳未来をさとり給ふにや。今此御光一天にかゝやきて、恩沢八荒にあふれ、四民安堵の栖穏なり。猶憚多くて筆をさし置ぬ。 あらたうと青葉若葉の日の光

 東照宮参詣に先立って、浅草清水寺の住職の紹介状を持って養源院を訪ねた。使僧の案内で日光東照宮大楽院へ赴く。大楽院は日光東照宮の社務所らしい。

 一 四月朔日

 前夜ヨリ小雨降。辰上尅、宿ヲ出。止テハ折々小雨ス。終日雲、午ノ尅、日光ヘ着。雨止。清水寺の書、養源院ヘ届。大楽院ヘ使僧ヲ被添、折節大楽院客有之。未ノ下尅迄待テ御宮拝見。終テ其夜日光上鉢石町五左衛門ト云者ノ方ニ宿。

『曽良随行日記』

参詣を終えて、芭蕉は日光上鉢石町の五左衛門宅に投宿する。

星の宿小西」へ。

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