此所を半里戻り、又奥山へ分入。日光四十八滝の中第一の滝あり。遙に山を登て、岩上を見渡せば、十丈余碧潭に落。幅は二丈に過たり。窟に攀入て、滝のうらを見る。仍(よつて)うらみの滝とはいへり。水の音左右に樹神(こだま)して、気色猶凄し。
○雲水や霞まぬ滝のうらおもて
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享保5年(1720年)、貞佐・潭北は下野を遊歴。裏見の滝を訪れている。
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うらみか滝にて
裏襟のほころひ行や深山百合
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元文3年(1738年)3月22日、山崎北華は江戸を立って『奥の細道』の足跡をたどり、4月裏見の滝に到る。
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中禪寺に到れば。湖水漫々として。絶景いふばかりなし。黒髪山は雪いまだ殘り。麓は櫻の花盛りなり。
殘雪にくろ髪山もかす毛かな
と興じて。華厳の滝を見。裏見が瀧に到る。岩下に身を潜め入り。瀧の裏より見る。水飛び風冷かにして。首夏なれど堪がたし。
極暑にてなくて恨みぞ瀧の裏
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元文5年(1740年)、榎本馬州は『奥の細道』の跡を辿る旅で裏見の滝を訪れている。
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硝子(びいどろ)のあちらは夏の瀧のうら
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寛保2年(1742年)、佐久間柳居は裏見の滝で句を詠んでいる。
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瀧にさへかくし裏あり赤つゝし
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延享4年(1747年)、横田柳几は陸奥行脚の途中で裏見の滝を訪れている。
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裏見の滝にて
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涼しさの裏見出しけり滝の奥
| 柳几
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葛もいま若葉そ滝のうら表
| 白尼
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宝暦5年(1755年)5月、南嶺庵梅至は裏見の滝で句を詠んでいる。
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荒沢裏見の瀧
下野の華や表は瀧の裏
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明和6年(1769年)4月、蝶羅は嵐亭と共に裏見の滝を訪れ句を詠んでいる。
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裏見瀧
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底清水しれぬうらミや山かつら
| 嵐亭
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瀧見よと這行葛のわかばかな
| 蝶羅
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高桑闌更も句を詠んでいる。
ことによし裏みて潜る夏の滝
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明治19年(1886年)7月、正岡子規は旧伊予藩主久松氏の子息定靖に随伴して日光へ行き、龍頭の滝を訪れている。
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裏見瀧
うちあけて心のそこも見せなから瀧のなこそはうらみなりけれ
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昭和40年(1965年)、山口誓子は裏見の滝を訪れている。
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裏見瀧
凍るべき瀧を見るいまならずばと
『一隅』 |
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十二単(じゅうにひとえ)が咲いていた。

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