『奥の細道』
浄法寺桃雪邸跡
元禄2年(1689年)4月4日(陽暦5月22日)、芭蕉は浄法寺桃雪邸に招かれ、11日まで滞在。再び翠桃宅へ。 4月15日(陽暦6月2日)、芭蕉は再び浄法寺桃雪邸に招かれ、翌16日に黒羽を発ち、殺生石に向かう。 |
松尾芭蕉と曾良は元禄2年4月4日(陽暦5月22日、1689年)に浄法寺図書(俳号桃雪)に招かれた。「おくのほそ道」によれば、「黒羽の館代浄法寺何がしの方に音信る、思いがけぬあるじの悦び、日夜語つづけて伝々」とある。一族をあげて歓待したのでずい分居心地がよかったのだろうか、黒羽で13泊、あしかけ14日の長逗留であった。わけても桃雪亭に8泊した。 芭蕉は、桃雪のため次のような挨拶の句を詠んだ。 曾良の『俳諧書留』に |
秋鴉主人の佳景に対す |
山も庭にうごきいるゝや夏座敷 |
浄法寺何がしは、那須の郡黒羽のみたちをものし預り侍りて、其私の住ける方もつきづきしういやしからず。 地は山の頂にささへて、亭は東南のむかひて立り。奇峰乱山かたちをあらそひ、一髪寸碧絵にかきたるようになん。水の音・鳥の声、松杉のみどりもこまやかに、美景たくみを尽す。造化の功のおほひなる事、またたのしからずや。 |
とある。 桃雪主人の開け放した夏座敷に坐して遠くの山や前庭の佳景に対していると、山も庭も青々としてそよぎ、さながらこの座敷に入り込んでくるような躍動した生気が感じられるとの意であろう。
芭蕉の里 くろばね |
芭蕉翁、みちのくに下らんとして、我蓬戸を音信て、猶白河のあなた、すか川といふ所にとゞまり侍ると聞て申つかはしける |
雨はれて栗の花咲跡見かな | 桃雪 |
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いづれの草に啼おつる | 等躬 |
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夕食くう賤が外面に月出て | 翁 |
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秋来にけりと布たぐる也 | ソラ |
元禄9年(1696年)4月1日、天野桃隣は黒羽を訪れ浄坊寺桃雪宅に泊まっている。 |
行々て、舘近、浄坊寺雪桃子に宿ス。 翌日興行 ○幾とせの槻(けやき)あやかれ蝸牛 |