那須神社はその昔「金丸八幡宮」と号した。那須与一が扇の的を射る時、「南無八幡大菩薩、我国の神明、日光権現・宇都宮・那須のゆぜん大明神、願くはあの扇のまンなか射させてたばせ給へ。」(『平家物語』卷第11)と心のうちに祈念したのが、この八幡大神である。
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元禄2年(1689年)4月13日(陽暦5月31日)、芭蕉は那須神社を訪れた。
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『曽良随行日記』には、次のように書かれている。
一 十三日 天気吉。津久井氏被見廻テ、八幡ヘ参詣被誘引。
元禄9年(1696年)、天野桃隣は黒羽の館代浄坊寺桃雪宅から那須神社を参詣し、句を詠んでいる。
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与市宗高氏神、八幡宮は館ヨリ程近し。宗高祈誓して扇的を射たると聞ば、誠感応弥増て尊かりき。
○叩首(ぬかづく)や扇を開き目を閉(フサギ)
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享保元年(1716年)4月26日、稲津祇空は奥羽行脚の途上常盤潭北と那須神社を訪れている。
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黒羽滝田氏のもとにやとる。惣社八幡宮は那須与市扇の的を射たる時願念の霊神なり。鳥井物ふり輪橋瑞籬いとしつけし。
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延享4年(1747年)、武藤白尼は横田柳几と陸奥行脚し、途中で那須神社を訪れている。
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与一扇の的を射し弓矢を奉納せし八幡宮に詣て
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むかしおもふ膝に扇や神のまへ
| 尼
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明治6年(1973年)、那須神社と改称。
大正14年(1925年)7月7日、荻原井泉水は那須神社を訪れている。
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その八幡宮は与瀬のうちで、金田村大字南金丸にあり、今は那須神社と称している。桜の並木を参道として、石橋があり、古びた楼門があり、その門に続いた墻塀を以て浄域を囲うてある中に、是もかなり古い神殿がある。
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私は那須神社と「温泉神社を混同していた。