『奥の細道』
曾良の句碑
かさねとは八重撫子の名なる可し
かさねとは八重撫子の名なる可し |
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蓮実彊書 |
元禄2年(1689年)4月3日(新暦5月21日)、芭蕉は矢板から沢村を通り余瀬に住む門弟の鹿子畑翠桃を訪ねた。 |
ちいさき者ふたり、馬の跡したひてはしる。独は小姫にて、名をかさねと云。聞なれぬ名のやさしかりければ、 かさねとは八重撫子の名成べし 曽良
『奥の細道』 |
芭蕉と小姫の出会の地に之を建てる |
昭和五十一年十一月三日 |
那須野文学散歩の会 |
施行一級技能士松本啓吉 |