『奥の細道』
〜栗橋ノ関所〜
あまり知られていないが、東海道の箱根、甲州街道の駒木野、中山道の碓氷と並んで重要な関所であった。 栗橋関所は利根川を越えて対岸の中田宿(茨城県古河市)に行く「利根川通り壌船場」であったので、「房川渡(ぼうせんのわたし)中田・関所」と呼ばれそうだ。 |
貞亨4年(1687年)、大淀三千風は栗橋を通り、江戸へ。 |
○大田原より日光道を右に見なし、宇津宮明神ふしおがみ、室八島、筑波山を遠見し、くり橋のはたしぶね、あとしら浪の卯花月八日に、江戸富田氏につく。 |
元禄2年(1689年)3月28日(新暦5月17日)、「栗橋ノ関所」を通り、「マヽダ」に向かった。 |
一 廿八日 マヽダニ泊ル。カスカベヨリ九里。前夜ヨリ雨降ル。辰上尅止ニ依テ宿出。間モナク降ル。午ノ下尅止。此日栗橋ノ関所通ル。手形モ断モ不入。
『曽良随行日記』 |
元文3年(1738年)3月23日、山崎北華は栗橋で利根川を越え、古河へ。 |
長宮を出て栗橋の川を越て。古河の宿に夢見。岩船山見むと。した宮といふへ懸り。高すね。したいぶせ。篠山などいふ所を通。佐野川左に流れ。堤つゞきたる道なり。藤岡といふ里に出づ。此所菅笠をつくり。營とす。夏近き粧明らかなり。 菅笠の溜りや民の夏支度 |
元文3年(1738年)4月13日、田中千梅は松島行脚の途上、利根川を渡り間々田に泊る。 |
利根の渡り 栗橋川也 こへ行ば早下野の國也都賀郡乙女村おもひ川なんといふなまめきたる名にていか成謂にや |
平成22年(2010年)3月23日、栗橋町は久喜市、菖蒲町及び鷲宮町と合併、久喜市となった。 |