『奥の細道』
〜東陽寺〜
国道4号(日光街道)を行き、春日部の『一宮』交差点で県道2号さいたま春日部線に入る。 |
『奥の細道』には「早加(草加)と云宿」とあるが、曽良の随行日記によれば、「カスカベ(春日部)」に宿泊したことになる。 日本橋から春日部まで、およそ35Km。『曽良随行日記』によれば、芭蕉が千住で舟をあがったのが、巳ノ下尅すなわち午前10時過ぎ。芭蕉の足なら、その日のうちに春日部まで歩いたのかもしれない。 春日部の小渕山観音院にも芭蕉が『奥の細道』の旅の第1日目に宿泊したという言い伝えがあるそうだ。 東陽寺の近くに「利根川煎餅」というお店があった。創業明治38年という「手焼きせんべい」の老舗である。 煎餅は寛永年間(1624年〜1644年)の頃、草加松原で団子の茶店を開いておせんというお婆さんが、立寄った侍の話を聞き、団子を潰してうすく延ばし、よく乾かして色好く焼き上げ、塩味をつけて、お客様に差し上げたのが始まりだそうだ。 |
享保元年(1716年)4月3日、稲津祇空は庵崎の有無庵を出て奥羽行脚。その日は粕壁に泊まった。 |
おくりの人々もかへりていと心ほそく、行とも道たとたとしからす、四并の勝事をかゝす。妖艶眼に供し、渓辺水人をてらす、と岑參か句も思ひ出て、 太平の時に袷そ朝ほらけ その夜は粕壁にとまる。 |