爺湖町の洞爺中央桟橋に「与謝野寛・晶子文学碑」があるというので探してみたが、見当たらない。何度も尋ねてみると、対岸の洞爺村にある浮見堂の辺りにあるらしいということだった。 |
大正の始め、北国行脚の旅の僧が聖徳太子像を背にして洞爺村を訪れ、市街の松橋亭にしばらく逗留したのち旅僧曰く「この太子像を大切に祀れば産業は栄え豊かな村になるであろう」と言い残し太子像を託して村を去った。 その後松橋家は転出し、太子像は法昭寺に祀られていたが、住民の発願によって、昭和12年に二重塔「浮見堂」を建立し安置され毎年7月下旬、聖徳太子祭が催されている。その浮見堂は平成15年10月18日夕刻、落雷の直撃を受け、太子像もろとも焼失してしまいました。 太子像が住民の身代わりになられたものと住民有志が立ち上がり浮見堂再建期成会を設立、村内外の多くの方々から心温まるご協賛をいただき、平成16年7月太子像と浮見堂が見事に復元再建された。
洞 爺 観 光 協 会 洞爺村浮見堂再建期成会 |
船つけバ向洞爺の桟橋に |
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並木を出でて待てるさとびと | 寛 |
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山畑にしら雲ほどのかげらふの |
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立ちて洞爺の梅さくら咲く | 晶子 |
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門下西村一平書 |
明治44年(1911年)12月10日、西村一平は石川県金沢市生まれる。 大正7年(1918年)、母と共に渡道。 昭和6年(1931年)、与謝野寛・晶子に師事。新詩社同人。 平成13(2001)年9月21日、没。 |
北大文武会での講演を主なる目的として来道した与謝野鉄幹・晶子夫妻が帰路洞爺湖温泉に2泊・ホテルの小型蒸気船で湖中の三山を巡り洞爺村に遊んだのは昭和6年6月4日のことでした。 晶子は当時の模様をえぞ桜・紅梅・野生花あやめなどの花が新樹の色と照映し、湖畔の水は緑玉と紺青とに澄んでいたと書き、北海道中例の少ない楽園郷のようであると述べています。 昭和51年6月4日洞爺観光協会の手によって建立されました。
洞爺観光協会 洞爺湖中央桟橋 |
明治32年(1957年)2月20日、藤田晋一は洞爺村字向洞爺に生まれる。雅号本湖。 |
平成18年(2006年)3月27日、洞爺村は虻田町が合併し、洞爺湖町となった。 |