2018年北海道

弟子屈町公民館〜木下春影句碑〜
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弟子屈町中央に弟子屈町公民館がある。

木下春影句碑


湖の月
 鎮まる愛の
    透明度

平成元年(1989年)11月3日、建立。

碑文解説

 湖の月は摩周の山、中秋の名月を意味し、雲も風もない夜に月が湖面に映る。静けさが支配して、立っていることも出来ないほどの緊張を強いられることがある。

 昔から湖は女性の神、摩周岳は男性の神に例えられ、二人の神の愛は美しい清らかな水として、摩周の透明度に深くかかわる。

作者紹介

 木下春影(善吉)は明治30年富山県に生まれています。林務官として奉職、のち弟子屈町議会議員、議長の要職を勤めました。

 細谷源二主宰の「氷原帯」同人。摩周俳句会誌「いそつつじ」を主宰。句集に「花片」「続花片」「名残花」があります。

平成5年、95歳で永眠。勲五等瑞宝章、弟子屈町文化賞。

弟子屈町教育委員会

鐺別神社にも木下春影の句碑がある。

更科源蔵詩碑


もうお前は忘れたかもしれないが
あのときほうかむりをして
開墾地の隅で泣きじゃくっていたのが
私だよ 雲よ
あのとき茜色だったお前が
見るみる光を失って灰色に沈み
夕べの空にとけてしまったのを
いつまでも見ていたのが
私だよ 雲よ

昭和52年(1977年)10月1日、建立。

作者紹介

「お前は忘れたかもしれないが
五十年たってもあの時の涙が
まだ乾かないのだ 雲よ」
と詩集では結んでいる。

 源蔵は札幌に活動の場を移してからも、瞳は南弟子屈を向き、心はたえず熊牛原野にあったろうか。

 更科源蔵は明治37年熊牛部落に生まれた。東京・麻布獣医畜産学校中退後、帰郷し代用教員、印刷業、開拓生活の中で詩誌「至上律」「北緯五十度」を編集・発行。第一詩集「種芋」によって詩壇に注目された。

 昭和15年、札幌に転居。詩人の傍ら、北海道の自然、歴史、アイヌ文化に関する研究者としても著名。北海道文化賞、放送文化賞、北海道新聞文化賞を受賞。

弟子屈町教育委員会

細谷源二句碑


地の涯に倖せありと来しが雪

出典は『 砂金帯』

 明治39年(1906年)9月2日、細谷源二は東京府東京市小石川区(現:東京都文京区)に生まれる。本名は源太郎。

 昭和16年(1941 年)2月5日、新興俳句弾圧事件で逮捕、投獄される。

 昭和18年(1943 年)6月、東京拘置所を出獄。

  昭和20年(1945 年)7月 14日、一家全員が上野駅から北海道開拓移民団の一家族として北海道に渡った。

 昭和29年(1954年)9月、弟子屈俳句会建立。

 昭和45年(1970年)10月12日、歿。

2018年北海道