帯広より然別温泉に向ふ 牧をかこみ馬鈴薯咲ける畑ひろし 雲の影群れて馬鈴薯の咲く野なり 峠を越えて 葛しげる霧のいづこぞ然別 霧くらき山路みちびく灯蛾のあり 霧の湖一つ灯蛾寄る宿もひとつ
『晩華』 |
鬱蒼たる原始林に囲まれた神秘境然別湖は、大正14年(1925年)9月、この地を初めて探険した十勝毎日新聞社社長林豊洲の献身的努力により広く紹介され、観光開発の先駆となった。ついて昭和9年(1934年)12月、豊洲の熱心な運動が実を結び、大雪山公園の指定に成功、今日の隆盛をみるに至った。 ここに事績を明らかにして顕彰する。
桑原翠邦書 |
大正十二年、余始メテ然別湖ノ勝景ヲ天下二唱道ス。扇ケ原・天望山・凌雲山等ハ、皆余ノ命名スルトコロナリ。 又、温泉場ヲ開キ、コレヲ経営シ、尓来十有八年。自ラ終焉ノ地ト為サンコトヲ念ウモ、今、故アリテ去ルニ臨ミ、殊ニ情ニタエズ。乃チ、石ニ勒ンデ後人ニツ(※「言」+「念」)グ。 昭和十五年 猛春 清野正次・千代 |
昭和38年、然別湖探勝に来訪、湖畔周辺を散策して紀行文と作句を残した。時に秋桜子71才の作句である。 |
『秋櫻子句碑巡礼』(久野治)によれば、第86番目。北海道唯一の秋桜子句碑である。 |
雲の動きや霧の去来も平地では見られない変化があり、美しく、又静かな秘境という処である。湖畔温泉ホテルの対岸には天望山(1174米)そして白雲山(1201米)が夫婦のごとく並び聳えている。秋櫻子は昭和38年(1963)7月上旬この地を訪れ、湖畔温泉ホテルに宿泊され、湖の美観を作句されている。その中の1句が碑句となったものである。秋櫻子71歳、第16句集「晩華」に所載。 |
1996年6月8日、先生が然別湖を訪れた折りに詠まれた愛誦1句をこの地に永くとどめる。 |
七月六日、然別温泉を発して札幌に向ふ 十勝野や幾牧かけて朝の虹 十勝野は落葉松つゞき虹低し
秋桜子『晩華』 |