大昔、この地に天変地異をもたらす大嵐があり、生物の生存をおびやかし、自然の猛威は飢餓という試練を与えた。 この頃、山奥に親子の熊が棲んでいたが、飢えをうったえる子熊を連れ海岸に辿りついた。親熊は海岸に群れる子蟹を見つけ食べさせていた。子熊も親のしぐさを真似て子蟹を追ったが、一瞬のうちに岩をすべり海中へ……… 親熊は夢中で溺れる子熊を助けるため手を伸ばすが、ぬれた岩に足をとられ、無残にも海中へ……… 一部始終を見ていた海の神様は、子を思う親の愛の深さに心をうたれ、溺れる親子熊を救いあげ、愛の姿をそのままに岩に変身させたのだった。
せたな町 国民宿舎 あわび山荘 |
さみだれの雨の晴間にみね麓かゝるも |
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あやし花のしら雪 |
菅江真澄は寛政元年(1789年)4月29日〜5月7日までクドウ(大成町)に滞在し、紀行文「えみしのさえき」の中に記している。 |
シヤモこと葉かよふアヰノのかたりもて浜路をゆき、いはむらをわたり谷にくだり、たかねをわくれば桜咲たり。こは、さつき山にはつ花よりも、と、ずんじて行がてに、 さみだれの雨の晴間にみね麓かゝるもあやし花のしら雪
『蝦夷喧辞辯』(えみしのさえき) |