日本は、古来より「日出ずる国」とされてきましたが、納沙布岬は本土最東端の地で1番早く朝日が昇ります。 納沙布岬灯台は、明治5年(1872年)に北海道で最初に設置した灯台(木造)で、昭和5年(1930年)に現在のコンクリート造に改築されました。 光のエネルギー源は、石油からアセチレンガスを経て電気に変わりましたが、光を放つ四等レンズだけは当時のままです。 この施設の異常を発見したときや、その他何かお気づきの点がございましたら、根室海上保安部までお知らせください。 |
平成10年(1998年)11月1日、第50回灯台記念日の行事として「日本の灯台50選」に選ばれた。 |
寛政元年(1789年)5月、和人のアイヌ民族に対する脅迫や非道行為によって追い詰められた結果、国後島と現在の標津町、羅臼町付近のアイヌ民族が和人71人を殺害した。この出来事は「クナシリ・メナシの戦い」と呼ばれ、最終的にノッカマップ(根室市牧の内)で戦いに関わったアイヌ民族37人が和人によって処刑された。 この墓碑は、殺害された和人71人の供養のために文化9年(1812年)に造られたもので、明治45年、納沙布岬に近い珸瑶瑁の海中で発見されたという。現地に保存されていたが、昭和43年、国後島を臨むこの地に移設された。 (中 略) 墓碑裏面には、、和人の視点からアイヌ民族が不意に襲ってきたとあるが、和人が殺害された原因はアイヌ民族への迫害が原因であり、石碑の内容と史実は異なる。
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明治27年(1894年)9月15日、横浜生まれ。短歌は古泉千樫に師事。千樫没後、昭和2年歌誌「青垣」を創刊、編集発行人となる。船舶関係の著書等多数ある。 |
歯舞群島の貝殻島灯台は先程まで見えていたそうだが、急に霧が出て見えなくなった。 |