外国船がたびたび来訪した幕末、南部藩は函館から幌別にかけての東蝦夷地警護を江戸幕府より命じられ、湾内を望むこのペケレオタ(白い砂浜の意)の地に、方形で二重の土塁と壕からなる出張陣屋を築き、防衛にあたった。 この陣屋跡は、安政3年(1856年)に築かれ、慶応4年(1868年、明治元年)に廃棄されるまでの13年間、南部藩士が常駐したとされる。 内陣には、藩士の詰所や長屋などの建物があったと記録され、発掘調査では建物の礎石や石畳の通路が発見されている。内陣の後背には火薬庫が設けられ、今も残される杉林も、藩士の手により当時植えられたものである。 この陣屋跡は近世末の土塁式の方形陣屋であり、南部藩による北方警備体制をよく示すものとして、国から昭和9年5月1日元室蘭南部藩陣屋跡として史跡指定を受けた。昭和49年8月22日には、同じく南部藩により噴火湾沿岸に築かれた長万部・砂原の陣屋跡、また市内崎守町にあるポロシレトの台場・勤番所跡も併せて追加指定となり、名称も「東蝦夷地南部藩陣屋跡モロラン陣屋跡」に変更され現在に至っている。 |
黄を |
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濃くし |
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陣屋を出でず |
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秋の蝶 |
東蝦夷地南部藩陣屋跡 |
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史跡 |
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モロラン陣屋跡 |