昭和38年(1963)7月1日、水原秋桜子は摩周湖を訪れている。 |
摩周湖第三展望台にて 茂りたる樹海陥り湖ふかし 雲かむり冷夏影置く摩周岳
『晩華』 |
昭和8年(1933年)8月23日、高浜虚子は星野立子と硫黄山の麓をドライブ、川湯駅から釧路に向った。 |
弟子屈の宿屋を出て、心持のよい林の中道をドライヴして屈斜路湖に向つた。摩周湖は霧が深くて展望が駄目だらうとのことで割愛したのである。屈斜路湖で舟に乘つて遊び、湖畔に噴火の名殘りの硫黄の煙を吐き出してゐるところなどを見た。それから又ドライヴして途中のアイヌ部落を見、硫黄山(噴火山)の麓の這松や姫しやくなげの原を過ぎ、川湯驛に著いた。 川湯の驛の待合で握り飯を食つてをると、汽車が來たのだつた。狼狽して握り飯を掌にのせたまゝで乘込んだ。一路釧路をめざす。
「北海道一見」 |
川湯駅に近くなつて一面の花野の中を走つた。目の前 の禿山には数条の煙が立ちのぼつてゐた。このあたりの 花野は大方、岩江蘭、イソ姫躑躅であると教へられる。 秋晴や山火趾とも教へられ |