黒田清隆は鹿児島県の人。明治3年開拓次官。のち開拓長官に任ぜられ、北海道開拓の大任にあたった。清隆はその性、明察果断にして、開拓の知識を先進国に学ぶ必要を痛感し、自ら海外におもむき知見を広めるとともに、ホーレス・ケプロンをはじめ、多数の外国人技師を招き、その進言を入れ、着々開拓の巨歩を進めた。北海道開発の基礎は、まさに清隆の卓見により確立したものというべく、その勲業まことに偉大である。
ここに北海道百年を迎えるにあたり、その偉業を回顧し、功績を永く後代に伝えるため、この像を建立する。 |
昭和45年(1970年)5月13日、雨宮治郎死去。享年80歳。
ホーレス・ケプロンの像

野々村一男制作。
ホーレス・ケプロンはアメリカ合衆国の人。明治4年わが国政府の招きに応じ、合衆国農務長官の要職を辞して開拓使教師頭取兼顧問となり、北海道開拓の大業に参画した。すなわち、多くの外国人技師を指揮して本道の実情をきわめ、卓越した識見と豊かな経験に基づいて、北海道開拓の基本方策を進言し、開拓長官をたすけてその実現に努めた。その勲業まことに偉大である。
ここに北海道百年を迎えるにあたり、その偉業を回顧し、功績を永く後代に伝えるため、この像を建立する。 |
有島武郎文学碑へ。
2023年〜北海道〜
