よりそひて |
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深夜の雪の中に立つ |
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女の右手(めて)のあたたかさかな |
明治41年(1908年)1月21日、石川啄木は釧路停車場に降りた。24日、喜望楼で啄木の歓迎会。 |
一月二十四日 寒いこと話にならぬ。今日からまず三面の帳面をとる。日影君から五円をかりて、硯箱や何やかや買って、六時頃帰宿。社長の招待で編集四人に佐藤国司と町で一、二の料理店○コ喜望楼へ行った。芸者二人、小新に小玉、小新は社長年来の思い者であるという。編集上のこと何かと相談した。 |
あはれかの国のはてにて |
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酒のみき |
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かなしみの滓をすするごとくに |
出だしぬけの女の笑ひ |
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身に沁みき |
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厨に酒の凍る真夜中 |
昭和61年開設。若き石川啄木が当寺でカルタ会に興じた因縁にちなみ「歌留多寺」と称し、啄木資料室を設ける。 |
一輪の赤き薔薇の花を見て |
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火の息すなる |
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唇をこそ思へ |
「本行寺の歌留多会へ衣川と二人で行って見たが、目がチラチラして居て、駄目であった。帰りに小奴に逢った。」
(啄木日記明治41年3月3日)
啄木は、記者月例会や歌留多会が催された本行寺で、小菅まさえ、小奴、梅川操たちと出会った。 啄木の遺品など一つも無い名前だけの『歌留多寺』に、せめて旧本堂の模型を造り、八十年前に遡ってみたい――この願いがかなった。 本物そっくりな模型――その前に立つと、啄木やゆかりの人びとの哀歓の声が聞え、開教百余年の歴代住職・門徒の姿が見えてくる。 平成元年四月十三日 啄木忌 本行寺第五世 菅原弌也誌す |