2017年〜北海道〜
カトリック元町教会〜亀井勝一郎生誕之地〜
元町教会は、安政6年(1859年)フランスの宣教師メルメ・ドゥ・カション(パリー外国宣教会司祭)が仮聖堂を建てたのに始まるもので、徳川幕府によるキリシタン追放令以降の日本におけるキリスト教宣教再開の先駆として横浜の山手、長崎の大浦と共に最も古い歴史をもつ教会である。 明治元年(1868年)同宣教会司祭ムニクー、アンブルステル両氏が現地に仮聖堂を建て、その後、明治10年(1877年)同宣教会司祭マラン氏により最初の聖堂が建立された。 以降3回の大火で類焼したのち、大正13年(1924年)現在の大聖堂が完成した。この大聖堂は、ゴシックスタイルの耐火建築であるが、中央祭壇、左右両壁十四畳の十字架道行の聖像は、イタリーのチロル地方の木彫で、時のローマ教皇ベネディクト十五世から贈られた由緒あるものである。
函館市
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亀井勝一郎は、明治40年(1907年)2月6日、ここ元町で喜一郎の長男として生まれ、弥生小学校、函館中学校、山形高等学校、東京帝国大学文学部に学び、のちに文芸評論家、思想家として活躍した。 昭和12年「人間教育」、同18年「大和古寺風物詩」等不朽の名著を残し、昭和40年日本芸術院会員に推挙された。 晩年の大作「日本精神史研究」は亀井文学の集大成として高く評価されたが、昭和41年11月14日病により永眠し、未完に終わったのが惜しまれる。 勝一郎は終生函館弁を使い、函館のサケのすしやイカの刺身を好んだという。なお、青柳町函館公園付近には、勝一郎真筆による寸言「人生邂逅し 開眼し 瞑目す」と刻まれた文学碑がある。
函館市 |
私の家のすぐ隣は、フランスの神父のいるローマカソリック教会堂であった。その隣はロシヤ系のハリストス正教会である。この二つの会堂は、それぞれ高さ五十メートルほどの塔をもっているので、船で港へはいるとすぐ目につく。 ハリストス正教会の前には、イギリス系の聖公会があり、やや坂を下ったところにはアメリカ系のメソヂスト教会がある。 私の家は浄土真宗だが、菩提寺たる東本願寺は、坂道をへだててわが家の門前にある。また同じ町内の小高いところには、この港町の守護神である船魂神社が祭られ、そこから一直線に下ったところには、中国領事館があって、ここは道教の廟堂を兼ねていた。要するに世界中の宗教が私の家を中心に集まっていたようなもので、私は幼少年時代を、これら教会や寺院を遊び場として過ごしたのである。
″東海の小島の思い出″の一節より |