2022年北海道

「銀鱗荘」〜高浜年尾の句碑〜
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小樽市桜の高台に料亭湯宿銀鱗荘」(HP)がある。

 大正8年(1919年)4月、小樽高等商業学校(現:小樽商科大学)入学。

 大正9年(1919年)1月22日、高浜年尾は丹毒で小樽病院に入院。

「銀鱗荘」の入口左手に高浜年尾の句碑があった。


遠き家の
 氷柱
  落ちたる
  光かな

『ホトトギス』(大正9年4月)の句。

 『ホトトギス』(大正10年5月)の句に「雪崩にまじりて氷柱落ちたる光かな」がある。

『年尾句集』に収録。

昭和49年(1974年)6月16日、小樽ホトトギス会建立。

料亭湯宿銀鱗荘」


小樽市指定歴史的建造物

旧猪俣邸


建築年:明治33年(1900年) 構造:木造

 この建物は、鰊漁を中心に財を成した猪俣安之丞の邸宅として、明治33年に余市町に建てられました。現在地には昭和13年(1938年)、東小樽の宅地計画の一環として移築されました。この母屋は猪俣家専用の住宅であり、多くの大規模な鰊漁家が親方の住居と漁夫の寝床を合わせている点で異なります。また、これほど大きな親方の住宅は、道内に例をみません。母屋の中央にある望楼からは、沖合の漁を観察していたと思われます。玄関の右手には6室の座敷が並び、大きな神棚や床の間を備えています。
小樽市

海を見下ろす。


ハマナスが咲いていた。


「小樽築港駅」まで歩く。

料亭湯宿銀鱗荘」が見える。


JR函館本線「小樽築港駅」


明治40年(1907年)9月14日、石川啄木は小樽に立ち寄り、札幌へ。

 午前四時小樽着、下車して姉が家に入り、十一時半再び車中の人となりて北進せり。銭函にいたる間の海岸いと興多し、銭函をすぎてより汽車漸やく石狩の原野に入り一望郊野立木を交へて風色新たなり。時に稲田の穂波を見て興がりぬ。


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