古平行 秋燕の南すわれ北航す 旅枕今日古平に盆の月 帰省子にシャコタン岬あをあをと 密漁のあわび舟とや盆の海
『野花集』 |
その年の秋、古平小学校開校77周年記念が行われることになっていた。同校28期卒業生であり、素十の主宰する『芹』の誌友でもあった水見句丈が、母校の記念にと素十に句を願った。 |
昭和27年8月、素十先生が古平町は御来遊の節、その10月古平小学校開校77周年記念式典が挙行されるにあたり、私の母校の為めと、特に記念の句を先生に詠んでいただいたもの。それを、昭和29年、古平町開基85周年の大行事の記念に、然もその式典会場が古平小学校でしたので、建立したものであります。実は素十先生のお許しを受けて居りませんので、御叱りを覚悟して居ります。
「先生の句碑」(昭和29年『桐の葉』10号) |
ふるさとを |
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同うしたる |
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秋天下 |
句丈君の心持ちには厚く深く感謝している。北海道の果なら誰も見るものもあるまい。まあいいさ。
「句碑の辨」(昭和29年『桐の葉』10号) |
六月十九日 虚子来道記念第八回大会 古平小学校 わが蝦夷の旅夏潮の忍路過ぐ 落葉松のみどり落つき蝦夷暑し
『句日記』(第二巻)
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鶯や |
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昔本陣 |
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今番屋 |
古里は往古、古都と云ふ名を用ひたのを目にした事がある。僧円空留錫の作品も殘り、又鰊の千石場所としても文化の中心地であった。 鶯や昔本陣今番屋 悠々子 の句の如く産業・交通の近代化と鰊の漁獲の変化等によって本陣が番屋となり、現在は観光の為に大盤振って居る。 今、作者が本句碑の句によって古平の積丹文化の誇るべき歴史をなつかしみつヽ今後の町の産業・文化の発展を烈々と願ふのを覚えるのである。 財団法人日本伝統俳句協会副会長
伊藤柏翠 |