2018年北海道

阿寒湖〜ボッケ遊歩道〜
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「阿寒湖畔エコミュージアムセンター」からボッケ遊歩道を歩く。

松浦武四郎の漢詩碑があった。


水面風収夕照間   小舟欅棹沿崖還
忽落銀峯千仭影   是吾昨日所攀山

松浦武四郎

 江戸時代末期北海道中に足跡を残した探検家です。安政5年(1858年)3月に阿寒湖畔を訪れており、著書の「久摺日誌」のなかで阿寒の豊かな自然について記しています。

二輪草が群生していた。


阿寒湖


 阿寒湖は、雌阿寒岳と雄阿寒岳にはさまれた標高420mに位置し、周囲約26km、面積約13ku、水深平均約18m(最大45m)の火山活動の陥没によってできたカルデラ湖で、2005年ラムサール条約に登録されています。

 阿寒湖内で唯一上陸できるの島であるチュウルイ島では、特別天然記念物に指定されているマリモの分布や生態などが観察できます。

昭和7年(1932年)8月26日、斎藤茂吉は釧路から阿寒湖を訪れている。

阿寒湖の島の木立に蝉のこゑ聞こえつつ居りときどき中絶(とだ)

(うみ)ぞこに毬藻の生ふるありさまを見むと思ひて顔を近づく


ボッケ


 ボッケとは、アイヌ語の「煮え立つ」という意味のポフケが訛ったもので、泥火山のことをいいます。100℃度ほどの熱せられた泥が地下から火山ガスとともにポコポコと音をたて絶えず噴出しています。泥は盛り上がり、そこに熱泥が積み重なり、異様な灰色の光景を作りだします。地熱があるため雪が降っても溶けてしまい積もることはなく、地下の生命力を感じる事ができる場所です。

マリモの唄


水面をわたる風さみし
阿寒の山の湖に
浮かぶマリモよなに思う
マリモよマリモ 緑のマリモ
   作詩 岩瀬ひろし
   作曲 八洲秀章
      作詩者書

 明治41年(1908年)4月5日、石川啄木は釧路を出航。雄阿寒雌阿寒の両山を見る。

 七時起床。荷役の人夫に頼んで、ハガキを三枚出す。石炭を積み了つて七時半抜錨。波なし。八時港外へ出た。氷が少し許り。

 後には雄阿寒雌阿寒の両山、朝日に映えた雪の姿も長く忘られぬであらう。知人岬の燈台も、程なくして水平線上に没した。


石川啄木の歌碑


神のごと遠くすがたをあらはせる
阿寒のやまの雪のあけぼの

『一握の砂』収録の歌である。

昭和26年(1951年)9月10日、阿寒湖畔部落民一同建立。

雌阿寒岳


昭和28年(1953年)、高浜年尾稲畑汀子は阿寒湖へ。

すゞらんに憩ひ雄阿寒まのあたり

鈴蘭の旅よ阿寒へみち急ぐ

遊船の水尾島かげに曲りゆく

噴煙の雌阿寒にして残る雪


阿寒湖の晴れて樹海のあたりの霧

鴨の浮く水のつゞきにまりも見る

摩周湖の神秘なる蚊に喰はれけり


阿寒湖畔を歩く。

2018年北海道