“石狩発祥の地”である本町地区は、江戸末期には「イシカリ十三場所」の元小屋として栄え、道央地区の政治経済の中心地でありました。
この公園は、本町地区で長い間親しまれた医療機関であった「旧石狩医院」(大正11年開設)の跡地を、平成10年に石狩市が取得し、歴史公園としたものです。
当時この付近にあった、場所請負人の交易所「運上屋」をモチーフに、展示・休憩ホールなどから成る「運上屋棟」を新たに整備するとともに、江戸末期にはじまる俳句結社「尚古社」の昭和の拠点で、当時の面影を残す数少ない和風建築の「旧石狩医院和室(楽山居)」(昭和12年建築)を、現代和風庭園などとともに保存・整備しました。
|
運上屋棟

先人たちの碑

井上伝蔵の句碑

俤の眼に
|
ちらつくや
|
たま祭り
|
明治35年(1902年)、秩父蜂起の井上伝藏(石狩では伊藤房次郎)が詠んだ句。
|
楽山居(旧石狩医院の和室)

石狩医院の和室部分として昭和12年に増築されたもの。絞り丸太を使った床の間や付け書院があり、持ち送り板、欄間など意匠を尽くした純和風のつくりとなっている。
建築当時、石狩医院長であった鈴木信三氏は石狩の文化を彩る俳句結社「尚古社」の中心的な社員であったことから、この和室は楽山居と号され、句会の場として、また、石狩を訪れた画家たちの画質として使われるなど文人墨客の集まるサロンの役割を果たしてきた。
平成12年市民交流の場として、当時の面影を残し復元を行った。
|
高浜年尾の句碑

わが橇の馬が
|
大きく
|
町かくす
|
『年尾句集』(昭和14年)収録の句。
平成17年(2005年)7月、札幌ホトトギス会建立。
嶋田一歩・摩耶子夫婦の句碑

石狩の冬が近づくポプラかな
| 一歩
|
|
山笑ひ海ほほえんでゐる日かな
| 摩耶子
|
札幌ホトトギス会」と「竹林会」建立。
平成19年(2007年)9月21日、除幕。
有馬朗人の句碑

先駆けの
|
はまなすの
|
芽の真紅(まくれない)
|
有馬朗人(あきと)は山口青邨に師事。「夏草」同人。
巌谷小波は「秋の川幾代の木々も浮きはしむ」の句を残しているようだ。
石狩八幡神社へ。
2019年〜北海道〜
