2017年北海道

JR旭川駅〜石川啄木宿泊の地〜
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ホテルからJR旭川駅まで歩いてみた。


平成27年(2015年)3月27日、イオンモール旭川駅前開業。

一月二十一日
於旭川
 曇天。十時半岩見沢発。途中石狩川の雪に埋もれたのを見た。神居古譚で夏の景色を想像した。午后三時十五分当旭川下車、停車場前の宮越屋に投宿。

 旭川は小さい札幌だ。戸数六千、人口三万、街衢整然として幾百本の電柱の、一直線に並んでるのは気持がよい。北海旭新聞を訪問した。


旭川駅前に西武百貨店旭川店があった。

西武百貨店旭川店B館に「石川啄木宿泊の地」の標柱があった。


 明治41年(1908年)1月20日、石川啄木は釧路に向かう途中、知人との待ち合わせのため、旭川駅前の宮越屋旅館に投宿した。

 旭川の地で啄木は、5首の歌を詠んでいる。

乗合の砲兵士官の
剣の鞘
がちゃりと鳴るに思ひやぶれき

名のみ知りて縁もゆかりもなき土地の
宿屋安けし
我が家のごと

伴なりしかの代議士の
口あける青き寐顔を
かなしと思ひき

今夜こそ思ふ存分泣いてみむと
泊りし宿屋の
茶のぬるさかな

水蒸気
列車の窓に花のごと凍てしを染むる
あかつきの色

旭川市教育委員会

『一握の砂』収録の歌である。

 明治41年(1908年)1月21日午前6時半、石川啄木旭川発。午後9時半、釧路に着。

一月二十一日
於釧路
 午前六時半、白石氏と共に釧路行一番の旭川発に乗った。程なくして、枯林の中から旭日が赤々と上った。空知川の岸に添うて上る。この辺がいわゆるもっとも北海道的な所だ。

 石狩十勝の国境を越えて、五分間を要する大トンネルを通ると、右の方一望幾百里、真にたとうるに辞(ことば)なき大景である。汽車はうねうねしたる路を下つて、午后三時半帯広町を通過、九時半この釧路に着。


 昭和50年(1975年)8月、西武百貨店旭川店開店。平成28年(2016年)9月30日、閉店。

旭川駅南口


 昭和7年(1932年)8月21日午後9時40分、斎藤茂吉稚内発、22日午前六時旭川着。

朝寒をあはれとおもひ吾汽車のしめし玻璃窓(はりど)に顔を寄せつつ

『石泉』

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