一月二十一日 於旭川
曇天。十時半岩見沢発。途中石狩川の雪に埋もれたのを見た。神居古譚で夏の景色を想像した。午后三時十五分当旭川下車、停車場前の宮越屋に投宿。旭川は小さい札幌だ。戸数六千、人口三万、街衢整然として幾百本の電柱の、一直線に並んでるのは気持がよい。北海旭新聞を訪問した。 |
明治41年(1908年)1月20日、石川啄木は釧路に向かう途中、知人との待ち合わせのため、旭川駅前の宮越屋旅館に投宿した。 旭川の地で啄木は、5首の歌を詠んでいる。 |
乗合の砲兵士官の 剣の鞘 がちゃりと鳴るに思ひやぶれき 名のみ知りて縁もゆかりもなき土地の 宿屋安けし 我が家のごと 伴なりしかの代議士の 口あける青き寐顔を かなしと思ひき 今夜こそ思ふ存分泣いてみむと 泊りし宿屋の 茶のぬるさかな 水蒸気 列車の窓に花のごと凍てしを染むる あかつきの色
旭川市教育委員会 |
明治41年(1908年)1月21日午前6時半、石川啄木旭川発。午後9時半、釧路に着。 |
一月二十一日 於釧路
午前六時半、白石氏と共に釧路行一番の旭川発に乗った。程なくして、枯林の中から旭日が赤々と上った。空知川の岸に添うて上る。この辺がいわゆるもっとも北海道的な所だ。石狩十勝の国境を越えて、五分間を要する大トンネルを通ると、右の方一望幾百里、真にたとうるに辞(ことば)なき大景である。汽車はうねうねしたる路を下つて、午后三時半帯広町を通過、九時半この釧路に着。 |
昭和50年(1975年)8月、西武百貨店旭川店開店。平成28年(2016年)9月30日、閉店。 |
昭和7年(1932年)8月21日午後9時40分、斎藤茂吉稚内発、22日午前六時旭川着。 |
朝寒をあはれとおもひ吾汽車のしめし玻璃窓(はりど)に顔を寄せつつ
『石泉』 |