昭和7年(1932年)8月26日、斎藤茂吉は釧路から阿寒湖に行く。 |
舟に乘りて阿寒の湖を漕ぎためば思ひも愛(かな)しこの縁(えにし)はや 阿寒川のながるる谿を見下せり二たびは來むわれならなくに
『石泉』 |
昭和8年(1933年)8月21日、高浜虚子は阿寒湖に泊まっている。 |
皆降りて北見富士見る旅の秋 昭和八年八月二十一日 るべしべ駅、此夜、阿寒湖、山浦旅 館泊。 バス来るや虹の立ちたる湖畔村 火の山の麓の湖に舟遊 昭和八年八月二十二日 阿寒湖。此夜、弟子屈、青木旅館泊。
『五百句』 |
虹立つや湖畔の漁戸の兩三戸 阿寒湖 藻に乘りて我舟を見送れり |
昭和38年(1963)7月2日、水原秋桜子は阿寒湖に向かう。 |
七月二日、阿寒へ向ふ 霧の中淡き虹たつさるをがせ 残雪の霧移りゆき歯朶の霧 残雪に白樺立てる霧の景
『晩華』 |