大正2年(1913年)、巌谷小波(小波山人)は函館を訪れ、函館図書館や寺井四郎兵衛の千代見園で主催された童話会に出席、会の終了後、岡田健蔵、寺井四郎兵衛両氏の案内で五稜郭を逍遙したそうだ。 |
五稜郭は我が国はじめての洋式築城で、安政4年(1867年)着工、7年の歳月を費して元治元年(1864年)に竣工した。 のち旧幕府脱走軍がこの城に立て籠り箱館戦争の本城となった。築城100年記念に当たってこの碑を建てた。 |
五稜郭は安政年間、幕府の造りたるものにて、武田斐三郎の設計に係る。日本無類の城郭也。瀑布の函館奉行の守る所なりしが、維新の際、将軍の大政奉還と共に、朝廷に帰し、函館府知事之を守りしに、釜次郎の幕府奪ひて之に拠り、官軍を拒ぎて、終に降りける也。碧血碑函館山の東麓に存して、碧血今は跡なく、函館市民の遊園地となりて、五稜郭の氷の名世に高し。
「北海道山水の大観」(五稜郭)
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