2020年広 島

「ホテルいんのしま」〜「念ずれば花ひらく」〜
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三原港から高速船「しまなみ」で土生港へ。


船内に「瀬戸の花嫁」が流れていた。

土生を「はぶ」とは読めなかった。

「ホテルいんのしま」に向かう途中に林芙美子の文学碑があった。


   いんのしま

遠い潮鳴の音を聞いたか
何千という群れた人間の声を聞
いたか
ここは内海の静かな造船
港だ貝の蓋を閉じてしまっ
たような因の島の細い町並に
油で汚れたズボンや菜っぱ
服の旗がひるがえっている
骨と骨で打ち破る工場の門の
崩れる音
その音はワァンワァンと
島いっぱいに吠えていた

林芙美子「放浪記」より

「ホテルいんのしま」


旧名称「いんのしまロッジ」

「念ずれば花ひらく」の碑があった。


因島の念ずれば花ひらく碑に


すぐ近くにある鯖大師堂から
お香の匂いが流れ
大きなお姿に語りかけるようにしてる
念ずれば花ひらく真言碑が
波静かな瀬戸の海を見おろす
ロッジの一角に建った
石はすぐ近くに産する大島石
力をこめて彫られた八字が
誕生の喜びを告げていた
わたしは碑に額をつけて祈り
この碑の前に立つ人には
生きる力と励ましとを
与えてくれるよう願った
澄みきった光よ
さわやかな風よ
島の人たちの幸せのため
いつまでも建ち続けてくれ


「ホテルいんのしま」の前に鯖大師像があった。


   鯖大師の由来

弘法大師因島に御来島の秋島を一巡されるお姿は、お袈裟朽ち衣破れる乞食相にも似たご修行姿であったという。海岸をご巡錫の途中、頭に魚桶を乗せ行商する魚屋にお逢いになり、魚の喜拾を求められた。其の時魚屋は之は商品の品でありまして魚を乞うとは全く呆れた生臭坊主、乞食坊主と罵り去ったという。しばらく行って魚屋がふと桶の中を見ると、今朝獲ったばかりの鯖も鯛も全部腐っていた。これは唯人ならずと後を追い、その修行僧に合掌懺悔して許しを乞う。大師は魚屋を憐み、桶の中から鯖や他の魚を取り出し、御加持して海に放すと、勢いよく内海へ泳ぎ去ったという信仰談が今に語りつがれている。

この鯖大師像は明治45年に作られ、村井万吉氏宅地に祭置されていたものを大師像と共に當処に移転したものである。

西國寺沙門文雄

つれしおの石ぶみへ。

土生港へ。

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